仁尾城跡に佇む歴史の寺院。
覚城院の特徴
覚城院は仁尾城跡に位置し、歴史を感じる場所です。
大日本帝国軍人の墓地も併設されている特異な寺院です。
細川頼弘公の終焉の地として、深い歴史的意義を持っています。
仁尾城があった、現お寺です。人が居なかったので、ゆっくり、参らせてもらいました。本当に、心が落ち着ける空間でした。
仁尾城のあった場所にこのお寺が建っています。参道には仁尾城の城址碑があります。遺構は無いようですが、町指定史跡となっています。書籍によると城主は細川土佐守頼弘です。
香川県仁尾町にある覚城院(仁尾城跡)仁尾城に関しては築城時期、築城主不明遺構無しで謎だらけです。唯一、細川頼弘と言う人が城主だったらしいのですが、その細川頼弘と言う人もよく分かっていません。西讃岐守護代の香川氏の家臣かな…💦1つ分かっているのは、1579年3月3日に長宗我部氏の侵攻で落城したと言う事で、仁尾町では3月3日のひな祭りが無く、旧暦の8月1日、八朔の日に男子の節句に併せてひな祭りを行っているそうです。
さぬき33観音霊場として訪問。仁尾城跡らしく石段上がっていくと眺望がよかった。石段手前の左手に専用駐車場あり。詰めると大型普通車で4~5台?くらいはいけそう。階段が苦手の方は階段横を通過して進むと看板があったのでそこを入れば上部の境内横にいけるのかな?境内横に軽自動車があったので大型車が可能かは不明。納経は書置きがありました。
雨が欲し~~い‼️
頂上の⛩️鳥居が天守閣跡現代の細川家本家当主は、元細川総理大臣であり讃岐・細川家は、分家にあたる家柄当時は、京都に細川家・本家当主が居りその指示を受けて動いていたが長曽我部元親が四国統一に乗り出す頃には、連絡を遮断されて四国の細川家は、個々に判断をとった🌠🌠🌠🌠🌠細川氏(ほそかわし)は、本姓は源氏、鎌倉時代から江戸時代にかけて栄えた武家。清和源氏の名門足利氏の分家。名字は鎌倉時代に三河国額田郡細川郷(現在の愛知県岡崎市細川町周辺)に土着したことに由来する仁尾城主で讃岐国主でもある細川頼弘(ほそかわ・よりひろ)が長曽我部家に追いこまれ切腹した。
綺麗に管理されている様です好感が持てますまた子供園地が有りお地蔵さんが有りました詳しく知りたい人は出かけて見て下さい。
初めて行きました墓地でお寺と神社があり数名来られていましたまた高台なので展望所様な感じで良い所だと思いました追加この上更に階段があり登るとお墓があります詳しく知りたい人は出かけて見て下さい☺
是非、丘のてっぺんに登って下さい。仁尾町周辺がしっかり見渡せます。特に桜の時期は素晴らしい!!
| 名前 |
覚城院 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0875-82-2051 |
| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
|
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スマホで見て始めてきました。良く整備されています。やはり現場に来たら新発見が有り色んな感動をくれます!行き帰りに父母ケ浜の様子も見れて良い二人旅になりました✨。