因島の歴史、護良親王令旨の地!
幸賀屋敷跡の特徴
大正8年に正五位が贈与された由緒ある史跡です。
村上義弘公に関連する貴重な文書が残されています。
幸賀館は因島村上家にゆかりの深い場所です。
村上義弘公の居館跡、代々能島城主の居館と伝わっているそうです。村上義弘公の宝篋印塔と伝わる物が亀老山の麓の妙法堂にあります。妙法堂、菩提寺である高龍寺に寄った後にこちらに来たので、村上義弘公の足跡を訪ねた様な時を過ごしました。
| 名前 |
幸賀屋敷跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
大正8年に村上義弘公に正五位が贈与されていて、その根拠のひとつが因島村上家文書に残る『護良親王令旨 元弘三年五月八日 備後国因嶋本主治部法橋幸賀館』の幸賀館が村上義弘公であると認定されたということかと思われる。今日では否定されているが。石碑に建立日建立者の記はないが、石碑の刻銘は機械で彫られた様相であり大正8年よりずっとあとの建立と思われる。井戸は、とても珍しい円形の三~四段の雁木の形態がほぼ残っていて、グレーチングの下約1.5mには水が湧いている。傍の椿の木のたもとにお地蔵さんと五輪塔(パーツ。少なくとも3つのサイズの五輪塔)が祀られている。村上水軍関係の墓あるいは供養塔だろうか。