広瀬橋の桜と歴史を探訪。
橋姫明神の特徴
広瀬橋のたもと、ひっそりと佇む木陰の神社です。
橋姫明神には橋供養の石碑があり、由来が深いです。
春の桜や秋のイチョウが美しい、散策にぴったりな場所です。
広瀬橋のたもとに ひっそりとあります自転車で散策中に みつけました木陰にかくれているので 少し見つけにくいです春には近くで桜 秋にはイチョウが見事です。
今年も美しい橋姫桜が咲きました。
橋姫明神由来橋供養の石碑は、長町の伝説である橋姫を供養するために、現在の根岸町にあった木場に働く木場連の人々が、藩政時代の文政6年(1823)建立したものと伝えられる。その後、広瀬橋たもとでそば屋を営業していた南部家で石碑と橋姫祠を預かり、長い間祭祠を執り行ってきた。都市計画道路によって南部家も移転を余儀なくされ、昭和57年(1982)に南部家では仙台市に橋姫明神と橋供養碑、及び永町橋の礎石を寄贈した。橋姫伝説・・・藩政時代、この地に初めて永町橋(今の広瀬橋)を架けることになったが長雨続きで広瀬川は氾濫し、橋を架けようにも架けられない状態であった。これは竜神様のお怒りに違いないとし、誰言うことなく信心深い若い娘を人柱にしないと橋は架けられないと噂が広まった。そのとき、長町根岸(百代の里)の長者の一人娘が「私が参ります。」と申し出た。娘は儀式に従って十八夜観音堂に籠って断食をした後、川べりの木箱に入り埋められた。祈りの声と鉦の音はしばらく続いたが、やがてそれも消えるように途絶えた。すると川に光が射し、大水は見る見る間に引いて、無事に橋を架けることができた、娘は橋姫として、今も地元で供養が行われている。まさに合掌っす。
名前 |
橋姫明神 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.1 |
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この近辺が大昔から洪水が多くて橋がよく流された事や江戸時代に若い女の子が人柱で埋められた事は地元の郷土史に詳しかった叔父から子供の頃から聞いた事を記憶して居りますが、口コミを見て更に詳しく知ってた方が居て嬉しいです!しかし、つい200年前まではその様な事がこの地にもあった訳ですね。桜の季節になりましたので、そんな事も考えながらこの河原をお散歩してみようかな。