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名前 |
大西大明神 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
5.0 |
東温市吉久は、旧吉久村を祖とし、表川を挟んで本村と畑川の二つの集落に分かれている。弘化3年(1848)の吉久大鏡によると、田畑二十一町八反、納石高二百二十四石で、小村だが、この地を開拓した開祖こそが大西氏であり、その先祖を祀るのがこの大西霊社である。16世紀中ごろの永禄のころ、会津若松城主松平肥後守配下の大西八郎兵衛政次(200石)は一族郎党を引き連れて出国、各地を遍歴しつつこの地にたどり着いた。水害の多い川の合流点に加え当時は荒れ地で何もなかったこの地、とても人の住めるところではなかったが、40年後に亡くなるまで地道に開墾を続けた。その彼こそがこの大西大明神であり、毎年9月6日を祭日とし祀っている。ただもともとの場所はここではなく、安政4年にここへ移したものらしい。そんな彼のための五輪塔も参道傍にひっそりと並んでいる。