小田山神社の円墳巡り。
小田山古墳群の特徴
小田山神社域内には、完全な形の円墳が13基も残る史跡です。
かつては草むらを掻き分けたルートが現在は金網で封鎖されています。
隣接する公園では、犬の散歩をする地元の方々をよく見かけます。
何処にあるか分かりません。
草がボウボウでかなりの荒れ具合です。ベンチがぽつぽつと設置されているので、散策路があったようです。かろうじて、獣道のような人の踏み跡がかすかに残っていたので、その踏み跡を頼りに敷地内を歩きました。数基、横穴式の古墳が確認でき、その石室内も確認できました。中を見てみると、羨道(せんどう)と呼ばれる狭い通路の奥に、少し広くなった玄室(げんしつ)が見られました。玄室には、数回遺体が納められたそうです。以下は、古墳群入口付近に立てられていた案内看板の内容を抜粋します。市指定史跡小田山古墳群(おだやまこふんぐん)小田山古墳群は、響灘(ひびきなだ)を見降ろす標高三五~五十五メートルの小田山丘陵の東側斜面に造られている。この古墳群は、いずれも内部主体に横穴式石室(よこあなしきせきしつ)をもつ円墳(えんぷん)である。石室は遺体を納めた玄室とそれに通じる羨道(せんどう)からなっており、各古墳とも数回にわたって遺体が埋葬(追葬)されている。出土遺物としては須恵器(すえき)【坏(つき)、瓦泉(はそう)、盌(まり)、提瓶(ていへい)】、土師器(はじき)【高杯(たかつき)】、碧玉製管玉(へきぎょくせいくだたま)、金環(きんかん)、ガラス玉等がある。石室の形態や出土した遺物から六世紀後半の古墳群と考えられている。大正時代初めまで大小併せて五十数基の古墳があったといわれているが、周辺の宅地化により大部分が失われてしまった。現在は、十三基がほぼ完全な状態で残っている。また、平成元年度に行われた分布調査では、周辺から新たな古墳が発見されている。昭和四十六年に古墳公園として整備された。北九州市教育委員会。
小田山神社域内に殆ど完全な形で13基の円墳が残っている。いずれも横穴式石室を持ち六世紀後半ごろの築造と思われる。響灘を望む小山上にあり、その当時はすぐ下まで波が打ち寄せていただろう。ただ管理不行き届きなのが残念でならない。古墳公園として整備されてはいるがただそれだけで見学しやすいようにとの配慮に欠ける。もう少し郷土の文化財を大切にしてほしいものだが。
名前 |
小田山古墳群 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
2.8 |
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35年ほど前に裏の小田山霊園から草むらを掻き分け散策しました現在はそのルートは金網で封鎖されていました当時は立て札も少なく夏は草が生い茂り全体を見ることもままならなかったのですが開いたままの石室は防空壕かと思っていました隣接する小さな公園からも行けました犬の散歩をするご近所の方が何人か歩いていましたそのすぐ近くに何かを埋めるためかは分かりませんが綺麗に草刈りをした空き地に2ヶ所大きな半円の穴が開いていました。