高麗寺由来の伝説の首塚。
首塚の特徴
高麗寺由来の首塚で歴史を感じる場所です。
歴史的な背景を持つ首塚は訪れる価値があります。
固有名詞の高麗寺がある糸島市で心温まる体験を。
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名前 |
首塚 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
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この首塚は高麗寺由来の首塚という事で、間違いはないようだ。昭和4年の糸島郡誌に、この場所が太宰管内志でいう「甲掛けの松」の跡であるとの記載がある。いったい何の首塚なのかと思って調べていたが、高来寺ゆえんの首塚ということで、調べを終えたいと思う。❷【参考 首塚 糸島郡誌 昭和2年】首塚 又は 耳塚ともいう。高来寺の北1町、県道側より小川を登る事1町、字上浦にあり。老松の根に小石を建てて自ら小塚をなせり。周囲20間高さ4尺弘安4年高麗人の首を埋め士處という。❶【参考 太宰管内志 明治41年】【参考】高麗寺弘安4年、蒙古兵が日本を襲ったとき、その中に高麗人が多数混じっていた。これは元に服従した高麗王が出兵させたものである。結果は台風により敗退をした。「大宰管内志」によると、浜辺に避難した2万人の高麗人は、ことごとく捕虜となりて、那珂河あたりで斬首した。それらの首を葬って寺院をたてた。という。これが高麗寺である。のち、寺は廃滅して村の名前としてのこった とある。寺の跡は村北の山上にあって、礎石が近世までのこっていた、という。(明治41年現在)其の跡、畠となりて堂地畠となづけて今も観音堂が残っている とある。ある物に此の近い村 三雲村に高麗人の首を埋めた所という伝わっている墓がある。高麗人の首をば、三雲村にうめて寺を高麗寺村の地に建立したという。又高麗村に高麗人の首を うづみたりし所 というもの今も確かならず。只、甲掛けの松の下に其の跡とのみ云いつたわるあれど是も塚は見えず。三雲村東北に茶臼塚とて茶臼の形に似たる大塚あり。上に石仏あり。その北に端山という塚がり。茶臼塚よりは細し上に権現社あり。これら高麗人の首塚の由云つたへたり。とある。