愛知の酉の市、素盞男神社へ。
素盞男神社の特徴
愛知県内でも珍しい酉の市が有名な神社です。
中村区日吉町に鎮座する由緒ある素盞男神社です。
昭和8年に移された、こぢんまりとした境内です。
初めて参拝でした🎵7/20.21なら御朱印授かれるそうです🙆
毎年、商売繁盛の為に、酉の市と新年の祈祷で利用しています。駐車場も少ないく、通りから入った所にある小さな神社ですが、地元で商売をされている方が多く訪れます。不景気ですから、一度御祈祷に訪れるのも良いと思います。
こぢんまりとした境内です。遊郭があった時代、昭和8年に当地に遷座されました。商売繁昌、家内安全を祈願する11月の祭事酉の市(おとりさま)は開運の熊手、福招きの箕、宝船などを求める参拝者で深夜から賑うそうです。
名古屋市内でも11月に酉の市が開かれると新聞で知り初めて訪れました。
朝行ったので無人でしたが、おみくじは引けるようになっていました!きれいな神社でした!
【御朱印:あり(祭事が行われる日に社務所にて)】中村区日吉町(ひよしちょう)に鎮座する素盞男神社(すさのおじんじゃ)♬愛知県内では珍しい酉の市(とりのいち)が行われる事で有名な神社です。摂末社の大鳥神社の祭礼で11月の酉の日に行われる酉の市は、午前0時~翌日の0時まで開運の熊手や福招きの箕(みの)、宝船などを求める参拝者でとても賑わっています。1767年(明和4年)に庄内川氾濫により、悪疫の流行がみられ、立て続けに名古屋城城下が大火災と見舞われました。その克服の為、尾張藩9代藩主徳川宗親(とくがわむねちか)により天王社、秋葉社を城下町内に祀ることを奨励。その後、1773年(安永2年)に勧請されたのがこちらの神社の縁起とされています。現在の地に移されたのは1933年(昭和8年)とされ、千種区内山町(ちくさくうちやまちょう)に建てられていた神社になります。御祭神:素盞男尊(すさのおのみこと)迦具土尊(かぐつちのみこと)
桜が満開でした。季節はずれの桜に感動しました。
11/2の酉の市に行ってきました。あいにくの雨という事もあって、本殿に上がっている方々を除くと、他には自分と神社関係者のみ。しかし逆に炊き上げと回りの提灯とで、神事感が凄かったです。浅草の酉の市に3年前まで行ってましたが、こちらはお祭り感が凄いので、こちらの酉の市の方が自分的には好きです。
時が経って大門が変わっていっても、ここだけは変わらずにあってほしい場所です。
名前 |
素盞男神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
052-482-5576 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.9 |
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中村日赤病院の東、かつて中村廓と呼ばれた場所の一角に、この神社が移されたのは昭和8年(1933年)のことだった。 江戸時代中期、名古屋城下の東に牛頭天王を祀る天王社が多く建てられた。現在の東区古出来から千種区にかけてのあたりで、今でも須佐之男神社が4社ほど残っている。 中村区日吉町にある素盞男神社もその中のひとつで、江戸時代中期の1773年に古井村(千種区内山町)に建てられたものだ。 『愛知縣神社名鑑』にはこうある。 「社伝に、明和四年(1767年)7月、庄内川氾濫により悪疫の流行をまねき同七年七月には城下大火災と打続く災害克服のため藩主宗睦天王社、秋葉社を城下町内に祀ることを奨励した。当社は安永二年(1773年)に勧請する」 宗睦は尾張藩9代藩主で、中興の名君と呼ばれた殿様ではあったのだけど、後年の経済政策の失敗により尾張藩の財政を傾けることになったといわれる。 その前の前の7代藩主が宗春だから、それでもよく立て直した方という言い方もできるだろうか。 『尾張徇行記』(1822年)や『尾張志』(1844年)にはこの神社は載っていないので、江戸時代は神社という規模ではなく祠程度だっただろうか。