花見山の歴史と絶景。
花見山城址の特徴
室町時代に築かれた花見山の城跡です。
登りやすい造りで訪れるのが楽しいです。
親水公園の近くに位置してアクセスが便利です。
千三百六十八年(室町時代前期)、河野通堯は、葛籠屑城主・村上大蔵大夫に命じて、花見山に出城を築かせた。当時、守護や地侍の勢力争いが絶えず、領地を守るために出城を造り敵に備えていた。築城後、通堯は、この地方から他郷の細川勢や仁木勢を退け、政治を安定させた。一三七九年、通堯は、将軍・足利義満に味方し伊予国の守護に任ぜられた。その後、城代・西通孝から引き継いだ西山氏(西の改姓)が代々城主となる。城主・西山氏の墓は、この花見山の麓にある。第四代城主西山肥後守通倫、第六代城主・西山五右衛門通周は、この地方の開発や村人の救済に尽くした功績で正八幡神社本殿左側の周敷神社に祀られている。(案内板より)この城の別名は福角城、縄張規模は80×55です。
親水公園東の山?の上にあります。入口が分かりにくいです。御堂しかありませんが、瀬戸内海が綺麗に見えます。
伊予鉄バス亭の花見橋で、下車し、川に沿って、山側に行くと、右手に、雑木林があり、そこが、花見城です。花見城の前に、江戸後期に作られた堀江新池があり、こちらの方が、整備されています。高さ5m前後の土塁ですから、簡単に登れますが、入口が判りません。花見城の沿革を書いた看板の左手の脇道が、入口です。城内もあまり手入れされていません。
| 名前 |
花見山城址 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| 評価 |
2.6 |
| 住所 |
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とても登りやすい城です。