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小さな岩があり、太閤(豊臣秀吉)が座った石と伝わります。もすこし詳しく言えば、秀吉が九州征伐時にここに腰掛け、隈庄城(旧城南町役場あたり)に向かったという。おそらくは全国に伝わる太閤石と同様の伝承をもつもの。実際に気にすべきはこのとなりにある地蔵堂だ。放牛地蔵だな。このお堂の向いてる白川の河原の真ん中あたり。ここの河原は江戸期には芝居小屋がかかるエンタメ広場であったんだが。同時に火炙りの刑場(人が集まるので見せしめに適していたのでしょう)も備わっていたわけで。その鎮魂の為のお地蔵様だったりします。