小瀬川で感じる四境戦争の歴史。
四境之役封境之地碑の特徴
四境戦争の歴史を物語る、封境の碑がある場所です。
小瀬川の山口県側に位置し、戦場の思い出を感じられます。
慶応2年の歴史的な出来事が残る貴重な史跡です。
四境戦争の封境の碑です。
小瀬川は、慶応2(1866)年、四境戦争(第二次長州征討)芸州口の戦場となった場所です。長州軍は、小瀬川をはさみ約50日間におよぶ激戦の末、幕府軍を撃退しました。道路の反対側の小学校敷地角に「竹原七郎平徒渉地点」がある(地点登録承認待)。竹原七郎平とその従者2名は長州藩(しゅう翼団)の一斉射撃に遭い小瀬川河中に壮烈な戦死を遂げました。しゅう翼団隊長品川清兵衛は、竹原七郎平の持っていた守袋の中にあった故郷の妻からの手紙を読んで、子供の死が報じられてあることを知りました。七郎平の心境を悼み、丁重に安禅寺に葬りました。七郎平らの徒渉地点はこのあたりと推定されています。
小瀬川は、慶応2(1866)年、四境戦争(第二次長州征討)芸州口の戦場となった場所です。長州軍は、小瀬川をはさみ約50日間におよぶ激戦の末、幕府軍を撃退しました。道路の反対側の小学校敷地角に「竹原七郎平徒渉地点」がある(地点登録承認待)。竹原七郎平とその従者2名は長州藩(しゅう翼団)の一斉射撃に遭い小瀬川河中に壮烈な戦死を遂げました。しゅう翼団隊長品川清兵衛は、竹原七郎平の持っていた守袋の中にあった故郷の妻からの手紙を読んで、子供の死が報じられてあることを知りました。七郎平の心境を悼み、丁重に安禅寺に葬りました。七郎平らの徒渉地点はこのあたりと推定されています。
名前 |
四境之役封境之地碑 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0827-53-3123 |
住所 |
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評価 |
3.8 |
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山口県と広島県の境を流れる、小瀬川の山口県側にある。第二次長州征伐の際の戦場になった場所。50日間激戦が続き、長州軍は幕府の軍勢の突破を許さなかった。