瑠璃光寺前で大内家の歴史を感じて。
大内弘世公之像の特徴
瑠璃光寺前に位置し、目立つ存在感を放っています。
大内弘世は南北朝時代の混乱期に活躍した偉大な人物です。
トイレの近くにあり、訪問時の目印として便利です。
山口に来たら是非訪れたい場所のひとつ。何度か来ていますが、毎回新しい発見がありますね。混んでいることは無いのでゆっくり落ち着いて観光することが可能です。
像の下にこだまの様なキノコがはえていました。
周りの木々が映え物静かな史跡です。弘世は正平15年/延文5年(1360年)に本拠を大内館から山口(現在の山口市大殿地区)へ移転。京都に倣った都市計画に基づく市街整備を行い、後の大内文化に繋がる基礎を築いたとされます。中国地方の小京都の風情がありますね。
瑠璃光寺前の敷地にあります。
山口県を発展させた偉人です。
毛利敬親と思い込んで象のちかくまできたら大内家のお殿様でした。室町時代にこの辺りを治めていたお殿様ですね。
目立ってますね✋
なかなか目立ってました。
大内弘世公は、大内氏24代当主です。ご自身が町づくりを始めた山口市街を馬上から眺めているような像です。南北朝の動乱期で大内家中でも敵味方になってしまったり、九州出兵に関しては息子の義弘と意見が合わなかったり、つねに誰かと争っている緊迫の日々でした。なぜだか大内のお殿様というと優雅なイメージがありますが(私だけ?)それとは程遠い生涯だったようです。弘世公以降の当主も文武に優れた人が多く、その文化面を語られることが多いので優雅なイメージが強いんでしょうね。弘世公にしても、・居館を山口に移し京都を模した町づくりを始める・祇園社を勧請して八坂神社を、北野天神を勧請して古熊神社をつくる・来訪した明の趙秩が山口十境詩を読む・京都から迎えた奥方を喜ばせるため人形御殿をつくる八坂神社と古熊神社があるから祇園祭や天神祭があり、人形御殿をつくるために人形師を集めたから「大内人形→大内塗」ができました。山口を京風の町並みに整えただけでなく、文化のある町にしたのは弘世公なのです。(やっぱり文化面を語ってしまう)
名前 |
大内弘世公之像 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.9 |
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とおくからですが撮ってみました。