八幡駅近くの快適公園。
小伊藤山公園の特徴
八幡駅から歩いて3分の便利な立地です。
国際通りのロータリー横に位置する公園です。
SDGs清掃活動が行われている環境意識の高い場所です。
小伊藤山があると思って行ったのですが、平地の公園でした。昔は山で、戦争のころ防空壕が幾つも掘られていたそうです。焼夷弾で300人くらい亡くなったのだそうです。戦後、山を崩して公園にして、慰霊碑が立てられたとのことです。
2021年11月26日に訪問。八幡駅を出てまっすぐ南へ進むと見えてきます。公園というよりは広場に近い感じですね。八幡空襲の慰霊塔などの史跡が印象的です。
SDGs清掃活動で行ってきました。公園の印象は覚えて無い😅
八幡駅から伸びる国際通りのロータリー横にある公園です。現在では小伊藤(こいと)山はありません。旧電車通り南側の、わらさびモールから北九州八幡東病院、そして旧市立八幡病院にかけての範囲にあった三角形の小山でした。昭和20年8月の八幡空襲にて、小伊藤山の防空壕では、火災の為に少なくとも300人近くが命を失いました。遺体捜索も兼ねて戦後の戦災復興都市計画で山は切り取られます。駅の移転を見込んで、わらさび通り(現在の国際通り北側)が造られ、コンクリート造りのビルの街に生まれ変わります。同じ時期に、焼け残った尾倉・平野・桃園の一部の町に隣接して、南北方向の防災道路が造られます。また国道3号も電車通りから分離され、現在の線路沿いに移されました。公園には慰霊碑が、ロータリーには平和記念像が建てられています。今は忘れられつつありますが、戦争という悲劇を乗り越え、八幡の街が新しい時代に飛躍した事を伝える場所なのです。
八幡駅から、歩いて3分。寛げます。トイレ、綺麗に掃除されてます。
トイレ奇麗になったね。
この地一帯は、丘陵地で小伊藤山と呼ばれ、その麓まで家屋が建ち並んでいました。太平洋戦争となり北から南から、また西から、防空壕が築造されました。昭和二十年八月八日午前十時、米空軍による焼夷弾攻撃で、附近一帯は焼野原となり、この防空壕に避難した人々は、火煙に包まれ全員窒息死しました。その数三百人といはれている。戦災復興区画整理事業により、この地を公園とし、戦災死者を追悼するため、昭和二十七年慰霊塔が建立されました。
景勝地等はなくお盆の、精霊流しの供養の場所です。
この地一帯は、丘陵地で小伊藤山と呼ばれ、その麓まで家屋が建ち並んでいました。太平洋戦争となり北から南から、また西から、防空壕が築造されました。昭和二十年八月八日午前十時、米空軍による焼夷弾攻撃で、附近一帯は焼野原となり、この防空壕に避難した人々は、火煙に包まれ全員窒息死しました。その数三百人といはれている。戦災復興区画整理事業により、この地を公園とし、戦災死者を追悼するため、昭和二十七年慰霊塔が建立されました。
名前 |
小伊藤山公園 |
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ジャンル |
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住所 |
〒805-0059 福岡県北九州市八幡東区尾倉2丁目8−34 |
評価 |
3.7 |
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ここは、かって小伊藤山という丘のような高台でした。第二次世界大戦の際に爆撃を受け、防空壕に避難していた多数の市民が犠牲になりました。公園の片隅に、慰霊碑が建立されています。