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本川俣長良神社(ほんかわまたながらじんじゃ)御祭神(推定) 藤原長良公 大国主命 事代主命由緒創建年代等は不詳です。御祭神は、推定ではありますが、社名にもある通り、かつて上野国の国主としてこの地を治め、没後に春日大社の末社として祀られた藤原長良公です。羽生市指定文化財(史跡)「松平大和守生祠」本川俣村は、明和七年(1770)から文政四年(1821)までの約五十年間、それまでの幕府直轄地から川越城主の領分となっていました。生祠とは、領主の徳をたたえるために領民がまつったもので、市内には堀田氏、戸田氏、本多氏らの城主のもの以外にも、小尾氏、戸田氏、土岐氏等の旗本をまつったものがあります。長良神社の生祠は、松平大和守直恒をまつっています。当地は天明六年(1786)七月十六日におきた上川俣の竜蔵堤の決壊および、寛政三年(1791)八月七日の再決壊による水害に見舞われました。この領民の窮状を知った直恒は、食料を与え、租税も五年間免じました。この恩に報いようと、惣百姓、組頭、年寄、名主が願主となり、そのいわれを記して後世まで伝えようと寛政六年(1794)に建立したものです。松平大和守生祠は、寛政元年(1789)に待従に任ぜられた後、文化七年(1810)に四十九歳で没しました。(「境内案内板」参照)境内には「松平大和守生祠」の他にも、宝暦五年(1755)の道祖神、宝暦八年(1758)の道祖神、寛政七年(1795)の水神宮石祠などがあります。水神宮石祠は、この付近に利根川の長宮の渡しがあったため水難除けとして祀ったものか、羽生領七十一ヶ村組合の銘が刻まれていることから利根川の洪水除けを祈願したものと考えられています。