武田信広公をまつる松前神社。
松前神社の特徴
武田信廣公をまつる神社で歴史的な意味合いが深いです。
松前公園から見える朱色の屋根が印象的な神社です。
参拝時に受け取る御朱印が丁寧に書かれて心に残ります。
サクラの時期に伺いました。鳥居の左に見事なサクラの木がありとてもキレイでした。駐車場は500円を払う価値は間違えなくあると感じました。すてきな場所ですね。
松前城の公園内にある神社です。松前城に訪れた際にご挨拶をしてもいいかもしれませんねこの日は桜を見に行きその時にご挨拶をさせて頂きました御朱印を頂けて満足ですしかし御朱印は作り置きされているのでセルフでお金を入れて御朱印を自分で持ち帰る形式でした。
松前家にて当初松世祠を設け信廣公始め代々の神霊を奉斎したが、旧藩臣及び庶民は公の蝦夷地開拓の基礎を築かれた功績を追慕し、松前家にのみ委すべきに非ずとして神社創立の議起り、明治12年以来開拓使に出願して同14年2月8日許可せられ、旧福山城北の丸址を境内地に充て社殿を建立し、武田信廣公1柱の神霊を奉斎して松前神社と称した。大正4年の御大典に際し創立当初の社殿腐朽甚だしきを以て、時の函館支庁長河毛三郎氏慨然奮起し公の頌徳会を組織して神社の興隆を計り、同7年5月6日無格社より一躍して県社に列せられた。同年5月21日神饌幣帛料供進神社に指定せられた。同9年社殿改築に着手し同11年現社殿竣成した。昭和11年昭和天皇本道に行幸の際幣帛料を御奉納せられた。北海道神社庁舎HPより元はお殿様がお城の中に先祖代々を祀っていた祠だったものを明治に入って神社化したという事のようですね。松前城と一緒に参拝するのがお勧め。桜の時期であればまた格別かと。
御祭神は松前氏の祖となる武田信広公です。若狭武田氏の一族とされる信広は、諸国を転々とした後に蝦夷地に渡り、蠣崎季繁の客将となります。アイヌの反乱(コシャマインの戦い)を鎮圧した信広は子のいなかった季繁の跡を継いで蠣崎の姓を名乗ります。都にて応仁の乱が起こり、戦国の世となる少し前の話です。蠣崎氏による蝦夷地支配はその後も着々と進み、豊臣秀吉により蝦夷地一円と松前の地を安堵されたのを機に姓を松前にあらためます。松前氏の家紋、松前神社の神紋が共に丸に割れ菱(武田菱)なのは、信広が武田氏の出自を称するがゆえです。神社そのものは明治になってからの創建で、同時期に日本のあちこちに建てられた藩祖を御祭神とする神社のひとつです。社殿はそれなりに立派なものの面白みに欠けますが、松前城内を歩いていればおのずと立ち寄ることになります。
御朱印頂きました。
武田信廣公をまつる神社。松前城見学のあとに参拝。
松前公園を散策してると、芝生の向こうにいきなり鳥居と本殿が見える感じです。塀や樹木などにも囲まれてないので、ちょっと落ち着かない雰囲気です。桜祭り開催期間でしたが、御朱印は書き置きでした。夕方だったので、最後の一枚で頂けてよかったです。
血脈桜を見に行きました。色んな桜が咲いていて見ごたえありました。
参拝参りました。
| 名前 |
松前神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0139-42-2032 |
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 10:00~16:00 |
| HP |
https://hokkaidojinjacho.jp/%E6%9D%BE%E5%89%8D%E7%A5%9E%E7%A4%BE/ |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
|
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松前城天守の近くに鎮座し、松前藩祖・武田信広公を祀っています。境内は広くないので、石造りの鳥居の先に朱色の屋根の社殿があります。拝殿前の幕と賽銭箱には武田菱が描かれています。