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| 名前 |
八幡宮 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
|
立花八幡宮御祭神 譽田別命配祀神 豊受比売 大己貴命 須佐之男命 大山祇命 軻遇突智命由緒栃木県神社誌の記述創立は、境内地の御朱印によると、嘉永二年(1625)です。明治四十年(1907)五月三日、村社となりました。当神社は、立花一円の守護神として、多くの人々の崇敬を集めてきました。現在も、西山田立花地区の人々の信仰の拠り所となっています。(平成十八年発行「栃木県神社誌」参照)慶長十二年(1607)徳川家康寄進状に「奉寄 久喜山 八幡宮 御領 下野國橘郷内七拾石事」と書かれていますので、創建は嘉永二年(1625)よりはるかに遡ると考えられます。大平町誌の記述当神社は、弘仁年間(810~824)藤原冬嗣が小祠(小八幡)を建立したのに始まるといわれています。八幡太郎源義家が奥州征伐の折りに当神社に戦勝祈願し、帰路の途中、神殿・拝殿・宝蔵・別当報恩寺を建立したと伝えられています。(昭和五十七年発行「大平町誌」参照)下野神社沿革誌の記述本社は弘仁年中(810~824)の創立にして藤原冬嗣の勸請なり後寛治年間(1087~1094)奥州の武衡反するや源義家誅伐の勅を奉し奥州へ下向の時本社に戰勝祈願書を納められ奥州平定の後社領を寄附し社殿を再建せられ數百年の間盛榮たり而るに天正年中(1573~1592)北条氏康當國に亂入し皆川山城守と戰争に及ひし時社殿及ひ寳物古書等に至るまて悉く兵火のために焼燼し再ひ本社を再建せしに慶長十七年(1612)徳川幕府検地の時社領を没収せられ爾来修繕も整わす漸々衰頽して今日の現況に至り殆と中古の跡を失ふものと云ふ(明治三十六年「下野神社沿革誌」参照)「下野神社沿革誌」には、大平町西山田に二社の八幡宮が記録されています。立花地区の鎭守「下都賀郡富山村大字西山田字宮脇鎭座 村社 八幡宮」と、西山田字中山の「下都賀郡富山村大字西山田字中山鎭座 無格社 八幡宮」です。