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名前 |
橋門の阿弥陀様 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
|
評価 |
3.0 |
ここ『橋門の阿弥陀様』の祠がある丘は『鯨岡』と呼ばれ、和銅6(713)年に編纂された『常陸国風土記』の行方郡の条を現代語訳すると下記となります。<行方郡の南七里に小高の里がありました。昔ここに住んでいた小高という佐伯にちなんで名づけられた里です。常陸国の国守の当麻大夫の時代にここに池が作られ、それが今も道の東にあります。池より西の山には草木が生い茂りイノシシやサルがたくさん生息しています。池の南にある鯨岡は、昔々鯨がここまで腹ばいでやってきて丘になったという事です。この池は大きな栗の木があったことから栗家池という名前が付きました。池の北には香取の神を祀る社があります。>『麻生町史(民俗編)』には、鯨岡(橋門の阿弥陀様)に関して次のような記述があります。<昔、この地方に「はしか」が流行した。悪性であったので命を落とすものもあって人々は恐れ悲しんでいた。あるとき、一人の行者がこの地方に回ってきた。この様子を聞いて、病魔退散の祈祷を行った。ひどかった「はしか」も次第に下火になり、やがて跡を絶ったという。その後、阿弥陀様をお参りするものは跡を絶たなかったという。「はしか」ばかりでなく、皮膚にもご利益があり、特にイボ取りの仏様として信仰されている。お願いするものは、ここにある「しゃもじ」をお借りし、直った時はお礼参りとして新しい「しゃもじ」をお上げすることになっている。>すぐ南側に駐車スペースあります。