延喜式神名帳の式内社へ。
曽波神社の特徴
延喜式神名帳に記載の歴史ある式内社です。
古くから大切にされている文化が息づいています。
神社の歴史やいわれを知る機会が増えるといいですね。
鳥居が新しくなり、気になったので訪れてみました。鳥居を潜り、古い石段を登ると曽波神社があり、更に奥に進むと途中に祠がある。更に奥に進むと愛宕神社がある。宮城県神社庁より引用由緒創祀年月知るに由なけれども上代より石巻の北西6キロ、北上川の西岸曽波神山上に御鎮座あり曽波明神と称す。延喜の制当郡十座の小社に班す。(延喜式)明治7年4月村社に列す。同42年12月曽波山の愛宕・雷神の雷神・上中埣の高玉の諸神社を合祀する。
延喜式神名帳の陸奥國牡鹿郡の項に記載のある式内社。JRの石巻線の曽波神(そばのかみ)駅より南に1キロ弱の旧北上川西側に鎮座する。周辺は東日本大震災の際の旧北上川を遡る津波によって浸水したため、今も堤防など強靭化工事中。神社は小高い丘の上(愛宕山(曾波神山ともいう。標高95m)の中腹にあり、津波の被害は社殿には及ばなかったようだ。ご祭神は志波彦神。創建時期は不明だが、古来よりこの旧北上川を望む愛宕山に鎮座していたようだ。当社の脇を流れる旧北上川の中に七つ石がある。当社のある対岸からはよく見えないのだが、いくつかの大きい岩が川の中から飛び出しているらしい。この付近は舟の運航の難所だったようだ。鳥居の前に車数台分の駐車スペースがあるのだが、珍しいことに「大阪」ナンバーの車が停まっていた。こうやって、関西から来るということは、ぼくのように全国の式内社でも周っているのだろうか。無人の神社なので、御朱印集めではないことは確かである。
賽銭箱なく、もっと神社の歴史やいわれがあればいいと思う。
名前 |
曽波神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0225-22-1423 |
住所 |
|
HP |
https://miyagi-jinjacho.or.jp/jinja-search/detail.php?code=310030815 |
評価 |
3.5 |
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分からないで過ごしているけれど、古くから大切にされているものはたくさんありますね。一見、埋もれたように見えても、八百万の神々がその土地をお守りくださっていることに気づき、感謝していきたいです。御祭神がわからないとき、いつも私は「玄松子のぶろぐ」を検索させていただいています。『玄松子のぶろぐ』によれば、このようにあります。以下 抜粋曾波神社そばじんじゃ宮城県石巻市蛇田字曽波神山4式内社 陸奥國牡鹿郡 曾波神社旧村社御祭神志波彦神宮城県石巻市にある。旧北上川の西岸、石巻線・曽波神駅のすぐ南にある小山の中腹に鎮座。参道入口は、山の南側にあるので、南に回ると、赤い鳥居が立っている。参拝は、真夏の休日。快晴の青空と、緑の山と、赤い鳥居が美しい。鳥居の扁額には、「曽波神社 愛宕神社」と二社の名前が並んで書かれており、鳥居脇には、「村社曽波神社」と刻まれた社号標や多くの石碑が立っている。参道の階段を上ると、参道左手に石祠などが祀られている。参道をさらに登ると、開けた境内があり、社殿が一つ。これが曽波神社の社殿だ。曽波神社社殿の左手に山頂へ続く道があり山頂には愛宕神社が祀られている。曽波神社の参拝を終え、山頂の様子が気になったので山道を登ってみた。真夏の山道で、汗を流しながら、蜘蛛の糸に悩み、薮蚊を払いながら登る。と、山頂方向から地元の方が下りて来られた。愛宕神社(山頂)までの距離が遠いようなら断念しようかとも考え始めていた時なので、一息つきながら、イロイロと話をお聞きした。創祀年代は不詳。上代より、この地に祀られていたという。式内社・曾波神社に比定されている古社。明治七年村社に列せられた。『式内社調査報告』によると明治四十二年十二月、曾波山の愛宕、雷神、上中坪の高玉などの神社を合祀したとあるが、現在、愛宕神社は、山頂の別の社殿に祀られている。また、『平成祭データ』には境内社として高玉社の名が記されている。曽波神山(愛宕山)山頂の愛宕神社境内愛宕神社社殿山道の途中にお会いした方の話によると昔、曽波神社が寺院の管理を受けていた時、階段を登ってすぐの場所にある今の社殿は寺院によって築かれたもので、本来の場所とは違うという。山頂への道の途中に、分岐点があり、まっすぐ行けば山頂、右手に行けば小さな祠がありそれが本来の曽波神社だという。そこで、まず山頂の愛宕神社に参拝しその後、分岐点の右方向へ進んでみると木の根元に小祠が祀られていた。分岐点には旗台が設置され、祠の幣帛も新しいのでちゃんと祀られている様子。この祠が、『平成祭データ』にある高玉社なのかあるいは、本来の曽波神社なのかは確認できなかったが、地元では斯様に語られているようだ。本当の曽波神社らしいが未確認です。