高崎の歴史、太刀割石に迫る!
太刀割ノ石の特徴
高崎かるたに詠まれる馬庭念流太刀割り石が魅力的です。
鏡開きに演舞を披露する馬庭念流の伝統を体験できます。
樋口定次の願掛けで立ち割られた大石に触れることができます。
高崎かるたに「馬庭念流太刀割り石」と詠まれるほど有名です。山名の八幡宮の入り口に鎮座していたとは驚きでした。見たことは数多くあったはずですが。
鏡開きの際に演舞が有名な馬庭念流の達人で当主だった樋口定次が高崎城下の村上天流と試合をするにあたり願掛けの後、立ち割ったという大石です。奈良県柳生の里にも同じような石がありますが、剣の達人に関わる場所であることを感じます。馬庭念流は剣の流派のひとつ念流の流れを組む流派で地名の馬庭を取り馬庭念流と呼んでいます。樋口家はその当主であり、戦国時代末期から江戸時代にかけて隆盛しました。練習は独特の袋竹刀を使い行います。試合後の樋口定次の後半生はよく知られていません。ただし、試合は勝っても負けても禍根が残る事が多く、村上側から試合を申し込まれたにも関わらず、勝った後もいろいろ大変だったようです。群馬は昔から剣の達人と縁がある場所で新影流の上泉伊勢守とその門弟や樋口定次、10段持田盛二など有名な方が出生されています。
名前 |
太刀割ノ石 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.5 |
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馬庭念流太刀割石山名八幡宮入口に竹の囲みがあり、中に「太刀割石」があります。資料によると、この石は、慶長5(1600)年馬庭念流中興の祖、樋口又七郎定次が天真流村上天流と試合をするにあたり、山名八幡宮に神助を祈り参籠し、神のお告げにより得た琵琶の木剣を使って断ち割ったと伝わる石です。とあります。