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本尊は地蔵菩薩坐像。室町時代、応仁の乱以降各地で起きた戦乱に苦しんだ民衆の為に、全国各地で刻まれ祀られた仏像の一つと伝わる。作者は不詳。その後かつて筑紫村に在った臨済宗寺院の禅定寺に祀られていたが、禅定寺は明暦2年(1656年)に現四日市市馳出町へ移転し、浄土宗鎮西派円明山金剛寺として改宗改称する。その時に当仏像のみが筑紫村に遺されたので、村民は地蔵堂を建立して(現在地と場所は異なる)大切に祀ったという。明治17年(1884年)に地蔵堂が火災に遭うと村民により火煙の中から抱き抱えられて救い出された。それまで地蔵堂を守っていた「オキシさん」という老婆も程なくして亡くなったので、種村長太夫氏が預かることとなり、自宅の仏壇に祀っていたという。昭和44年8月24日に地域住民により新しく当地に地蔵堂が建立され祀られ、地域では「筑紫の地蔵さん」として親しまれているとのことである。