由緒ある海士王子の隣。
海士王子の特徴
ぽつんとした場所にひっそりと佇む小さな祠です。
昔からの由緒を持つ海士王子の神社です。
津井切の踏切付近に位置しています。
御幸記(藤原定家 1201年)には、クワマ王子とあり、九海士王子や海士王子と漢字で書かれたのは、近年のことで、久和万、クワマ、クリマ、桑間崎王子等と表現されていました。明治41年に、前の愛徳山王子と共に近くの八幡神社に合祀(ごうし)されました。なお九海士王子社にあった宮古姫像は道成寺に祀(まつ)られていますが、本来は天照(ママテラス)大神像であったと推定されています。吉田八幡神社の由緒には、神功皇后(201-269)が、帰国後行宮を営み、その後九人の共に船を一艘ずつ与えて帰宮しました。九海士と言われた九人はその船で漁業に努め、農業に精出し、行宮の聖地に八幡大神をお祀りしました。後世、九海士の邑長(行政区の長 ゆうちょう、むらおさ)早鷹(ハヤタカ)の娘が宮古姫(髪長姫)で文武天皇の妃となって、道成寺の建立の由緒につながるのです。安珍清姫の話とはつながらないのですが、小竹(しの)八幡神社につながります。
小さな祠があります。
道沿いでポツンとありました。善童子王子から約20分でした。 御坊駅に向かいました。
海士(あま)王子は、くまは・くわま・クリマなどと呼ばれ、由緒ある王子社であったと言われています。昔はこの辺まで海で、ここで海女さんが海から観音様を拾い上げ、その観音様が道成寺にお祀りされていると言われています。そして、この王子から、JRきのくに線の線路が見えるのです。愛徳山王子が八幡山の北の麓、この王子は南の麓にあったそうです。九海士とか海士とかの表示は近世の事であったようで、久和万、クワマ、桑間崎王子等と表現されてきました。 明治41年、前の愛徳山王子と共に近くの八幡神社に合祀され、九海士王子社にあった宮子姫像は道成寺に祀られているそうです。
名前 |
海士王子 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
http://www.city.gobo.wakayama.jp/kanko/bunkarekisi/bunka/ahibunka/shiseki/1382689326274.html |
評価 |
4.0 |
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津井切の踏切付近にぽつんとあります。