歴史ある明神鳥居で心を癒す。
鶴御崎神社の特徴
鶴御崎神社の境内には、明神鳥居が見事に立っています。
境内には、狛犬が一対置かれており、歴史を感じさせます。
大正二年に建立された石の台座が、歴史の証人となっています。
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名前 |
鶴御崎神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
|
評価 |
4.7 |
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祭神 大海竜命、小海竜命境内の鳥居 明神鳥居(花崗岩) 大正二年(一九一三)吉日下の鳥居 明神鳥居(コンクリート) 昭和五年五月吉日狛犬 一対(凝灰岩) 寄贈者名の彫られた記念碑が境内にあるが、風雨の浸食により判読不可能 大正二年台座(花崗岩) 「世話人 早瀬助四郎、岡部仙五郎、坂本牧太郎、梶西三蔵、高木勘十」と刻されている。石灯籠 二基(花崗岩) 「安永(不詳) 世話人 大西長太郎、岡部島五郎、坂本源四郎、柳弥太郎、矢野兵之助」と刻されている。四月は湯立神楽を奉納する。昭和四〇年までは、旧暦の三月、六月、九月に行っていたが、太陽暦に改められたため変わった。梶寄浦のほぼ中央にある公民館の横を通っていくと大きなコンクリート製の鳥居がある。この鳥居をくぐり右に人家を望みながら、六九段の階段を登り詰めると、左側に門柱と花崗岩製の鳥居の奥に神社が見えてくる。境内に入ると左に古いビャクシンがあり、拝殿入り口上部の虹梁には、中央に菊、左右の木鼻は象の頭の彫り物がされてある。以前は鶴御崎の先端の小さな祠に祭られていたが、寛保三年(一七四三)現在地に遷座した。このため鶴御崎には、延享元年(一七四四)に梶寄浦の氏子によって、代わりに花崗岩製の地蔵尊一体を奉納した。地蔵尊は豊後水道の漁船や航行する船舶の安全を見守っている。鶴御崎神社の創建にかかる詳細は不詳であるが、初めは氏神様と称していた。その後神社と崇拝するようになったのは、寛保三年以後のことと言われている。昭和一〇年に三回目の神殿の再建を行っている。第二次世界大戦勃発直前に村社に昇格した。大正五年赤痢が蔓延して住民の三分の一が罹病し、九四人が死亡した。そのため、翌大正六年より悪病除けを祈願して四月の春祭りだけ湯立神楽を奉納することになったという。(鶴見町史より)前回の改装時(平成21年3月)に「大分県立芸術文化大学」の美術科の生徒が天井絵を書いています。拝殿の両脇壁に、どの生徒がどの天井絵を書いたのかをまとめたものが飾ってあります。