弓頭神社で国乳別皇子の神秘を探る。
烏帽子塚古墳の特徴
弓将軍と呼ばれる国乳別皇子の墓があります。
弓頭神社御祭神を祀る重要な史跡です。
烏帽子塚は古墳であり、歴史的な価値があります。
国乳別皇子の墓と云われています。古墳には住宅が迫り、前方後円墳の形がわずかに残っているだけです。後円部にあるチシャの木が目印で、そばに白い碑があります。ここにはかつて高三潴廟院といわれる社殿があったと伝えられています。
弓将軍と呼ばれた国乳別皇子の墓とされる古墳です。民間の庭先を歩いた先にあります。
弓頭神社祭神の国乳別皇子の御墓とされる烏帽子塚(弓頭神社御廟塚)はこちらとなる。H30.3.21時点で高良玉垂命の御墓とされる高良御廟塚とグーグルマップ上の表記が間違えているため注意が必要。マップ頼りで訪問した為こちらの本当の烏帽子塚を見逃してしまった。民家の庭先を通らないと来れない場所らしい。
名前 |
烏帽子塚古墳 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.4 |
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弓頭神社御祭神の國乳別皇子を祀るという古墳。であったものが宅地になっているので、先に大善寺の御塚古墳を見ておかないとイメージしにくい。御塚古墳より広大な前方後円墳、ということは今の弓頭神社も付属品か入口程度だったかも知れない。現在残っているのは、塚の一部にセメント被せた、防火水槽の如き祭壇にチシャの木一鉢。解りにくい入口を見つけて入っても見るべきものがない、というか水槽擬きの一角以外は住宅の床下になっている訳で。説明に曰く。…景行天皇第三皇子の国乳別命(くにちわけのみこと)が水沼の君として当地を治められ、後に大和朝廷の三韓出兵の折、弓の頭(かしら)<大将>に任命された。帰国後亡くなられ、御遺体を埋葬した御廟と伝えられ、別名「弓頭神社御廟塚」という。「御陵墓調」に東西258m、南北100m、周囲712m(原本は尺間法で表記)と記され、ことに周囲周溝は大善寺の御塚古墳周溝の約2倍である。しかし昔から次第に開かれたために当時の面影はないが、烏帽子塚の名称から前方後円墳であったと推定される。