河原のおきつね様と共に、歴史を感じる参道へ!
冠稲荷大明神の特徴
河原のキツネが増えて夜に住宅地に出現する神秘的な場所です。
冠稲荷神社は、江戸時代から続く歴史ある神社として知られています。
参道にはかつて運搬船の姿が見られ、旅人も訪れた賑わいがあります。
河原のおきつね様に化かされて偶然発見しました❗河原のキツネが最近増えて夜な夜な住宅地にも出てくる様です?
お賽銭の投入口を見て笑ってしまったw
くっそ懐かしい。
冠稲荷神社(三光寺稲荷)御祭神 宇迦之御魂神延宝二年(1674)に勧進が行われ、江戸から官位をとって祀ったのが始まりと伝えられています。当時、旅籠や飯盛女の信仰を集めました。明治四十二年倉賀野神社に合祀され、飯盛女の名が刻まれた石玉垣も移されました。その後昭和十年に地元横町の人々の熱意により復祀されることとなり、もとの場所に現在の社殿が再建されました。四月には例祭が行われます。(高崎市都市計画課「倉賀野めぐり」より)この稲荷は三光寺稲荷神社とも呼ばれ、延宝二年(1674)に勧請が行われ、同七年この地に造営されました。当時は、倉賀野宿の旅籠屋やそこに働く飯盛女たちの信仰を集めていました。しかし、明治四十二年(1909)の神社合併政策により、ご神体は倉賀野神社へ合祀されることになると、同四十年に社殿は川曲村(現前橋市川曲町)へ売却され諏訪神社として移築されました。同村は、江戸時代は倉賀野宿の助郷の村で、幕末は倉賀野宿寄場組合に属し縁の深い関係にありました。ところがその後、町の人の夢にお稲荷さんが現れて、「元の場所に戻りたい」と泣くと言う事から、この横町に昭和十一年に再建され冠稲荷神社となります。現在も四月八日に例祭が行われています。(境内案内板より)その昔、三光寺様は養報寺の隠居寺でした。その頃は、今のお宮より、もっともっと大きな立派なお寺だったそうです。その頃、夜になると白い狐がお寺の廊下にいたり、または人を化かしたりするので大変困りました。そこで、町の人達はどうしたらよかろうかと毎日の様に考えていました。そしてあるお百姓さんの考えでその狐をお祀りする事になりました。江戸へ行って正一位冠稲荷と言う立派な位をいただいて来て、お宮を建ててお祀りすると、不思議にそれから白狐が出なくなったと言います。そのお宮が出来て間もない頃の事です。今の横町の辺りに清次郎さんと言う一人のお百姓さんが住んでいました。大変心掛けのよい清次郎さんは、朝早く働きに出掛ける前に雨が降っても風が吹いても、必ず三光寺様にお参り致しました。ある朝早く、いつもの様に拝みに行きますと、お稲荷様の石段の所に、きれいなお星の玉が落ちていました。清次郎さんは、「これはお稲荷様が下さったのに違いない。」と、大切に家へ持って帰りました。その事があってから、清次郎さんは大変なお金持ちになったと言う事です。しかし時の移り変わりと共に、いつしか清次郎さんのお家はなくなってしまいましたが、今はただその昔にこうした言い伝えがあったと伝わっています。(株式会社アミッツ「伝説之倉賀野の記事」参照)
倉賀野河岸が賑やかだったころに運搬船や業者関係者、あるいは旅人などが参道まで船できてお参りしたそうです。その川は今は蓋がされて道になっていますが参道はその川からとなっています。由緒書きを見ると不思議な歴史があるようです。
| 名前 |
冠稲荷大明神 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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