稲豊橋の神様が鎮座。
水神宮の特徴
稲豊橋の下に位置する神様の神社です。
橋のたもとにある小さな神社です。
取手市市之代の静かな場所に鎮座しています。
小貝川は白鳳時代頃まで「子飼い川」「蚕飼い川」と書かれていたようだ。その昔、小貝川では鮭が多く獲れ、それを塩鮭にしていたようである。平安鎌倉期には相馬御厨よりの貢納物として「塩鮭百匹」の記述が残る。鹿島地方にて塩が大量に生産され、小貝川の水運を利用して盛んに運搬されたようで、市之台に荷上げされたり、守谷城の舟着場にも運ばれたと伝えられる。市之台の地名の由来として、ここに魚河岸のようなものがあり、また交通の要衝でもあったことで、定期的に市が立ったのではないか。将門が討死した直後に将門の次女春姫は市之台に隠れていたらしい。春姫が鷲野谷染谷家と血縁があった可能性も考えられることから、市之台は古墳時代には群馬より利根川下流域に鉄製馬具の製造技術を伝えた染谷氏が支配していたと思われる。取手市の中妻貝塚で発掘された人骨はバイカル湖畔にいたブリヤート人と遺伝的に最も近いことが判明した。ブリヤート人がバイカル湖周辺から日本列島へ渡来してきた動機は、サケ・マス漁撈の発達による新たな漁場の追求であったらしい。>12000~13000年前に東日本を覆った、クサビ型細石核と荒屋型彫器を伴った、細石刃文化を担った人類集団の技術伝統は、バイカル湖周辺から拡散してきたものである。>日本におけるクサビ形細石器文化圏と、サケ・マス類の主要遡上河川の分布域とはよく一致している。(岩波新書 加藤晋平著「日本人はどこから来たか」171ページ)詳しくは「日本人バイカル湖畔起源説」にて検索。
橋のたもとの小さな神社。
名前 |
水神宮 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
2.6 |
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ちょうど稲豊橋の下に鎮座している神様です。歩きじゃないと気が付かないかもしれませんね。