鳴海城跡の静謐な社で、心を感じる。
天神社 (成海神社創祠の地)の特徴
鳴海神社には10月の例祭で行われる御舩流しがある、独特なイベントです。
境内には鳴海城跡公園の近くで歴史的な土塁の地形が散見されます。
名古屋市緑区鳴海町の芭蕉句碑があり、文化的な魅力も感じられます。
10月の例祭では 日本武尊が東方平定向かう際 海を渡る船に見立てた木を3枚 南側の川へ流す御舩流しが行われます。また 船に乗って 妻の宮簀媛のところへも行くことから恋愛成就の御利益もあるそうです。令和3年で1336回目の歴史ある神事です。
城跡碑、境内に土塁らしき地形が散見される。城の規模は丘陵の西に建つ東西に長い城郭であったようで、現在城があったとされる場所は道を隔てて西側の城跡公園から天神社の有る東の小さな高台辺りと言われている。近辺に有る東福院は鳴海城の廃材で造られたという門が有る、という説明書です。城跡は公園から天神社までを含めて、という事なんですね。
鳴海城跡地を訪れたつもりでいたのですがよく考えると鳴海城跡公園のほうが城址らしいですから。ただとても古くからの由緒ある神社であることは確かですね。
鳴海城跡があった地だそうです。現在は延喜式内社 成海神社の元宮が鎮座しています。
小さな社のみ。
名古屋市緑区鳴海町〔天神社〕に芭蕉句碑が建っている。1) 京まてはまた半そらや雪の雲 芭蕉貞享4年(1687)11月、寺嶋菐言亭で巻かれた歌仙の発句。〔笈の小文〕所載。2) 賀新宅 よき家や雀よろこぶ背戸の粟 芭蕉貞享5年(1688)7月8日、下里知之(知足の弟)の新宅での吟。真蹟懐紙が残る。3) 杜若われに発句のおもひあり 芭蕉貞享2年(1685)4月4日、下里知足亭で詠まれた句。これら3基の碑は平成3年(1991)に鳴海商店街協同組合により建立された。
日本武尊はここから舟で火高山の宮簀媛の元へ向かったとされ、成海神社もここに創建されたという。当時、この下は遠浅の鳴海潟だったのでしょう。
県道242号線”本町”交差点の北側、鳴海城の跡地に有ります。
式内社であり旧県社である成海神社の旧地。鳴海城築城とともに遷座されたもの。
名前 |
天神社 (成海神社創祠の地) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
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鳴海神社の旧社地にあるオヤシロです。