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名前 |
旧丸山稲荷社および庚申塔 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
屋根板葺一間社流造。棟札が見つかっており,元文三年三月に現市内桜区西堀上宮の村田作五右衛門が願主となって,現市内桜区新開村の大工 小嶋兵衛門が建立したことが記されているという。解説が面白かったので,以下に転載する。「この時期(江戸時代中期)は、流造りの本殿が各地に建てられる時期ではあるが、宮大工によらないでこれほどの建築が出来る大工が村にいたことも見逃せない。技法的には一流とは言えないが、正規の神社本殿建築の例を学び、設計施工したものと思われ、近世の、村の神社本殿の整備などを知る上でも貴重な遺構である。」庚申塔については,一つは,もともと武蔵浦和駅付近に建てられていたという。享和三年四月健之銘。願主は,沼影村の細淵嘉兵衛。正面には,「是よりゑどみち」,右側面には「右ハよのミち」,左側面には「うしろハ飛きま多みち」との道標の陰刻あり。元は,江戸,与野,引又(志木)に向かう三叉路の中にあったのだろうか。もう一基は,個人宅にあったものとか。塔身に日月雲,台座に三猿の陽刻。安政三年正月健之銘。右側面には「大願成就」「奉再位馬場稲荷大明神」「正一位宝暦二壬申正月」「馬場位嘉永六癸丑二月」「雨屋再建天保四年癸巳九月」「三室村馬場組」「社主梓治右衛門大宮宿在八王子産幼名磯五郎」とある。「三室村馬場組」とは,村の様なもの。三室村は古くから山崎,宿,馬場,松木,芝原の5グループがあり,それぞれが一つの村として機能していたという(割と特殊な村支配形態だと思う。)。「八王子」とは,現中央区の地名と思われ,「大宮宿」は中山道の宿場町,大宮を指すものと思われる。背景情報に分からないところが多すぎて,言いたいこと,意味内容はハッキリと読み取れない。一応,読めるとこまで読んでみる。まず,「奉 再位 馬場稲荷大明神」とあるので,「馬場稲荷神社が何らかの理由で倒壊→稲荷大神が住処を無くし,宙に浮く→新たな憑依先を造営→そこに神様を再位させた」という時系列の流れが窺われる。続けて,「雨屋再建,天保四年癸巳九月」とある。これは素直に「雨屋の再建は1834年9月」という意味だろう。ということは,1834年以前から壊れていない雨屋があったものと思われ,当然,その下に本殿があったに違いない。「社主梓治右衛門大宮宿在八王子産幼名磯五郎」は,「社主は梓治右エ門(大宮宿在住 八王子村出身 幼名磯五郎)」程度の意味だろう。ただ,「なぜ馬場稲荷の社主が大宮にいるのか」などの疑問は出る。残りは良く分からない。