東大成の庚申塔、歴史の彩り。
建立:元禄十丁牛天吉祥日(1697年)浮世絵師・渓斎英泉が大宮宿の風景として描いたのは、当時、丹沢山地と富士山の眺望が素晴らしかった東大成(ひがし-おおなり)の庚申塔近辺である。 塔は元禄10年(1697年)の建立と伝えられる。 正面に青面金剛像・二鶏・三猿が陽刻され、裏面には近在の22人の女の名が刻まれている。 地元では「耳の神さん」「眼の神さん」として親しまれ、耳や眼の病いのときには団子を供えて平癒を願う。【引用Wikipedia:大宮宿(ただしWikiでは、この「東大成の庚申塔」の住所が間違って「馬頭観音、三界萬霊塔」と同じと記載されています。)】
| 名前 |
猿田彦大神 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
〒331-0814 埼玉県さいたま市北区東大成町2丁目481 |
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小さな赤い鳥居の奥に、猿田彦大神の額が掛かった覆屋があり、その中に「東大成の庚申塔」は収まっている。彫られているのは青面金剛像だが、猿田彦神の本地とされていることから、この庚申塔を猿田彦大神としているのだと思われる。この庚申塔は元禄10年(1697年)建立で、中山道分間延絵図では「山之神」として描かれている神社の場所に近い(同一かどうかは不明)。一説には、渓斎英泉が「木曾街道 大宮宿 冨士遠景」で描いた場所がこの辺りとされる。しかし、英泉が「上尾宿」で描いた場所は、ここから僅か1.3km先の(かつての)加茂神社前で確定しており、大宮宿〜上尾宿間で風景が2つ選ばれているのは明らかに不自然と言っていい。そのことから、大宮宿の風景は浦和宿との間の針ヶ谷立場付近、通称「六国見」するのが妥当と思う。