那須氏の歴史を体感!
烏山城跡の特徴
専用駐車場を完備し、登城口までアクセス良好です。
室町時代に那須氏が築城した歴史ある山城が魅力です。
七曲の階段や古い石垣を楽しめるトレッキングスポットです。
曲輪群に堀切♬土塁♬切岸♬石垣♬枡形虎口♬日帝時代の防空監視哨♬が見れた駐車場に縄張図付きの説明板🪧、絵図があった👍️無料パンフレットまで置かれてて至れり尽くせり山城でした👌
昨年末に訪ねました。他の方が詳細など書かれているので、シンプルな感想のみですが…歩きがいのある山城です。雨の後などは、ぬかるみがあるので足元に気をつけてください。
七曲口ですある理由で訪問フリースペースの駐車場があり2、3台停まってました。車でここまでるのは最後の細道が少し不安かなあ。昼間でも竹林に覆われたこの場所は少し神秘的で何より2月!寒い!鳥居より先に行ってないので、次回機会があればその先まで行こうと思います。物がたりが聞けるQRコードで、少し物知りにw?
2024年10月下旬の平日に訪問。100名城では有りませんが、信長の野望で出てきた城で、国指定と言う事で訪問。車は役場に停めて、観光課の方に教えて頂いた毘沙門天ルートで登りましたが、階段しんどかった。登って降りて山一つ越えた。三の丸からの七曲りルートが良いかな。本丸と古本丸周辺が良い感じでした。UPした画像は順番逆です。
那須家の居城跡。小田原征伐後に織田信雄が短期間入城し、以後は成田家が入り烏山藩立藩。後に譜代大名が入れ替わり廃藩置県により廃城。江戸時代中期に三の丸が築かれ、その頃の石垣が残存しています。本丸周辺や門跡にも石垣が残りますが、見所はやはり杉林の中にはっきりと分かる曲輪群を取り囲む空堀でしょう。本丸と並ぶ古本丸の西側には西城があり、その周辺の横堀、空堀、土塁郡は正に要塞そのもの。佐竹氏の攻撃を何度も跳ね返したが、こういった遺構は何時の時代の物か分からない所がミステリアスで魅力的なお城です。駐車場は七曲り口脇のスペースか、烏山庁舎脇の駐車場が無料です。隣の筑紫山とセットでハイキングがてら登ると良いカロリー消費にもなります。山の尾根には旧日本軍の軍事遺構が残ります。一日では回りきれないくらい魅力的なお城なので、土塁空堀ファンにはオススメです☆
城好き人間の集まりで訪れました。小雨が降る中でしたが、雨で霞む山城も良いもんです😃ボランティアのガイドさんの説明も分かりやすく、すごく楽しめました。最近、国指定史跡にやったとの事でしたが、なぜ今まで指定されていなかったのか、不思議なほど遺構の残りも良く素晴らしい城巡りでした。2時間程のツアーでしたが、じっくり見れば半日では足りないでしょう。
専用駐車場?はあるみたいですが那須烏山市烏山庁舎の駐車場を利用したほうが良いと思います。かなりの山道なので気軽な気持ちでは行かないほうがいいです。スニーカーでも大丈夫だとは思いますが汚れてもいい靴がおすすめです。
中々の規模です。搦手口の七曲から上がり幾つもの曲輪が連なり、深い空堀と高い土塁で仕切られ、所々に門跡と石垣が有ります。じっくり観ると2時間くらいかかりそうです。草も深いので虫除け対策必須です。
烏山庁舎に車を停めて脇から行けばまず展望台までの道のりが階段で登れます。そのあと更に進むと遂に烏山城内へ。と言っても勿論城跡ですから石垣や車橋趾など。本丸跡、古本丸跡は木が鬱蒼としています。夏は蚊が多くてとても休憩してられません。お昼後に登るのが良いでしょう。中々登り甲斐のある山城でした(笑)
名前 |
烏山城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.9 |
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烏山城跡は、栃木県那須烏山市に位置する山城で、応永25年(1418年)に那須氏一族の沢村五郎資重によって築城されたと伝えられています。那須氏の居城として知られ、戦国時代には、佐竹氏の攻撃を退けるなど、那須氏の重要な拠点となりました。その後、織田信雄や成田氏など短期間で城主が交代しましたが、享保10年(1725年)の版籍奉還まで、8代、140年余りにわたり城主を務めました。また、烏山城は、那須氏の家臣である沢村五郎資重(すけしげ)が兄の那須資之と不仲になり、稲積城から現在の地に移り、1418年(応永25年)に築城したのが始まりとされています。山の形が牛の寝ている姿に似ていることから別名『臥牛城』(がぎゅうじょう)とも呼ばれています。