信長の足跡、桶狭間の歴史散策。
中島砦の特徴
中島砦は信長が拠点にした歴史的な場所です。
名鉄鳴海駅から徒歩でアクセス可能な隠れスポットです。
明治時代の砦跡で、静かな環境が魅力です。
2024年8月1日 善照寺砦から歩いて十分ほど。正確に鳴海城を三方から囲っています。民家のご協力のお陰で見学できましたが、この時期草が生い茂って石碑が見えないぐらいでした。
榎白山神社を起点に熱田の白鳥古墳を経由して桶狭間まで信長の足跡をたどりながら歩いてみました。なるぱーくで休憩をとり、扇川沿いを通ったら引き寄せらるように偶然発見。感動的でしたよ。こんなところに!という場所でした。
信長が今川義元の侵攻に備えて築いた砦、とのこと。住宅地の中に立派な城址碑が立っていますが遺構は残っていません。
漫画家の江川達也さんが2.5万分の1地形図を元に、旧街道国道1号線へ、善照寺砦から、この中島砦を、通り一筋の小高いところ、すなわち昔の、沼地の中を走る道を想定し、信長軍はこの道を通り、義元軍へ正面突破を挑んだ、という説を読んで、一度訪れました。現在は閑静な住宅街の個人宅の中の小さな碑文が往時のものを残す唯一のものとなっています。歴史マニアなら、善照寺砦と伝桶狭間古戦場跡、桶狭間古戦場公園と共にセットで訪れてもよいと思います。程よい散歩になります。笑。
桶狭間の戦いの時信長が事前に拠った史上名高い砦跡です。川沿いの民家に挟まれた空き地に砦跡がありますが、入口に鉄製の門があり入るには少し勇気が必要でした。砦跡の石碑は道路沿いからは樹木に遮られて見えません。敷地の中に入って左手に建っています。
1559永録2年桶狭間の合戦時の織田氏の拠点のひとつ楽田城(現・犬山市)城主、織田家家臣 梶川平九郎宗玄が子 梶川高秀・一秀・秀盛らが城代・守将を勤める1560永録3年此処より織田信長率いる織田軍が今川軍に突撃し『桶狭間の合戦』に勝利した。
三角州の地形に砦跡を感じなければ、
中島砦は扇川二股の付け根にありました❗私有地ですが入っていいそうです👌名鉄鳴海駅の近くです‼️
辺りはなんでもない場所。思い入れの強さで見え方も変わってくる。
| 名前 |
中島砦 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
052-625-3878 |
| HP | |
| 評価 |
3.3 |
| 住所 |
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