江戸時代の道標と華やかな源平桃。
水戸佐倉道・日光道中 石標の特徴
水戸佐倉道の分岐点には小さな道標が存在している。
薄いピンクと濃いピンクの花桃が美しく咲いている景観。
江戸時代の歴史を感じる石碑がしっかりと建てられている。
源平桃が 綺麗(*´ω`*)
江戸時代、水戸佐倉道は日光街道から千住の宿で分岐し,さらに葛飾の新宿(にいじゅく)で水戸道と佐倉道に分かれていました。
旧水戸街道と旧日光街道の交差点。古い民家もあって、歴史を感じる場所です。
民家の前ですが桜が綺麗でした。
薄いピンクと濃いピンクが混ざり合った花桃が圧巻の美しさでした。
お花が綺麗!
江戸時代、日本橋を起点とする五街道が整備されたのは、二代目の徳川秀忠の時だった。千住宿は、千住大橋を超えての奥州、日光街道の最初の宿場町。併せて、五街道以外の脇街道の水戸佐倉街道の起点でもあった。今の道標は、宿場町通りの荒川よりの小さな公園の脇にある。真っ直ぐ行けば、日光街道。右手に曲がれば、水戸佐倉街道。どちらにしても、荒川にぶつかるのだけど、江戸時代には今の荒川などは存在していない。今の荒川が(荒川放水路)として完成したのは大正の終わりのこと。水戸佐倉街道は、この先小菅辺りを通り、千住から一里にあたる亀有を抜け、中川を渡って、二番目の宿場町の(新宿)で水戸道と佐倉道に分かれていく。水戸街道は、水戸から先は海沿いを通って行くことから(浜街道)とも呼ばれた。しかし、この街道については、沿道の大名のみしか参勤交代時には利用しなかった。殆んどの大名が、雪深い内陸の日光街道、奥州街道を利用したのは、水戸徳川家の城下を通り抜けることを大名達が恐れ多くて、良しとしなかったからということらしい。しかし、五街道と言われる通りの方が、道路にしても、宿にしても他の街道よりも整備 がされて利便性が高かったと考える方が自然なのかも知れない。因みに、現在の水戸街道(国道6号)は言問橋辺りが起点となり、東向島、荒川を渡り、四ツ木から金町、千葉県松戸に向かう。旧水戸街道とは、随分異なる道筋になっている。江戸時代、これだけの街道が集まった宿場町は他にないだろう。人の賑わいも相当なものだったことは簡単に予想される。今では、(旧日光街道)(旧水戸街道)共々、荒川に阻まれ、此れより先に行けぬ街道になっており、人の行来は非常に少ない通りに変貌してしまっている。その時の流れの変貌ぶりを公園横の小さな道標が表している。
綺麗に咲いてたのでパチリ!
石碑が建てられています。すぐ隣にプチテラスがあり、ボランティアの方が育てたお花が楽しめます。
名前 |
水戸佐倉道・日光道中 石標 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
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道標がありますが、とても小さくて見落としてしまうかも江戸時代にこちらから水戸潘は国に帰ったのですね。水戸街道だけでなく、佐倉にも通ったみたいです。