東京で感じる幸せな参拝。
金刀比羅宮 東京分社の特徴
高松松平家の下屋敷跡に位置する歴史的なスポットです。
金比羅宮に関する歴史的な由緒が感じられます。
文化財としての重要な役割を持つ場所として知られています。
R7.7平日 11:00静かでゆっくり参拝出来ました。
東京のこんぴらさんこと讃岐金刀比羅宮東京分社にお伺いさせていただきました。都営地下鉄三田線の水道橋駅から徒歩5分ぐらいです。創建は1819年で当時は板橋氏の邸内祠でした。分社なので、本家のような広さはありませんが拝殿は立派でした。書き置きですが社務所で御朱印も拝受出来ます!
松平賴重候下屋敷の跡この地一帯(東京都立工芸高校 宝生能楽堂 金刀比羅宮東京分社)は高松松平家下屋敷のあったところである高松松平家は松平賴重を編祖とし徳川光圀とは兄弟の関係にあった雨現十三代の韻明氏に到るまで松平家は四国にあって教育と経済の振興に力を尽して来た特筆すべきは十二代顔寿氏氏は貴族院議長(一九三七年一九四四年)として名声をはくも わが国の議会政治史上に一点をとどめ 他方大正大震災の後旧本郷区の要請で本郷学園を創設し わが国教育面に大いなる貢献をした昭和六十年五月文京歴史研究会。
屋敷跡らしいが、きれいに整備されています。都会の中のオアシス的な感じがしますね。
金刀比羅宮東京分社の鳥居側に説明板しかありませんが、讃岐高松藩の藩邸があった場所に、金刀比羅宮東京分社があります。というか、讃岐高松藩邸にあった邸内社の「水道橋金刀比羅神社」が「金刀比羅宮東京分社」の元になっています。讃岐高松藩の藩祖は、松平頼重です。本当は、徳川光圀の兄にあたる人物ですが、水戸家を継げずという人物です。また、讃岐高松藩は幕末まで続いた名家で、水戸徳川家とは違い、高松松平家は伯爵家として明治維新後も活躍しています。
小さな看板が金比羅宮東京分社の入り口右側にあるのみ。見つけるのも難儀です。
説明板のみです。
このあたり一帯が高松松平家の下屋敷であった。
案内板があるのみ。
名前 |
金刀比羅宮 東京分社 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
https://www.konpira.or.jp/articles_2023/0925_subsidiary-shrine/article.html |
評価 |
4.0 |
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裏の通りを歩いていたら、しあわせさんこんぴらさんと言う金刀比羅宮の東京分社を見つけたので、すぐにお詣りしました☺️なんか幸せな気持ちになりましたよ✨