会津田島の大きな鳥居で心鎮めて。
田出宇賀神社の特徴
会津田島に位置する国重要文化財の神社です。
田島祇園祭の中心として、多くの参拝者で賑わいます。
大きな鳥居と共に、落ち着いた雰囲気が魅力的です。
会津田島にある国重要文化財の神社。宇迦之御魂命が祀られています。7月末には日本三大祇園の田島祇園祭が行われておりコロナ後の2023年は大変賑わっておりました。同じ社殿には熊野神社があり、本殿は別になっています。由緒のある神社で田島に訪れたらぜひ参拝したいところです。
紅葉を観る旅の途中で田島に立ち寄る機会があったので田出宇賀神社と熊野神社を参拝しました🚗=3=3=3田出宇賀神社と熊野神社の両社の例大祭として日本三大祇園祭りが行われる有名な神社です_φ(・_・ウン拝殿にお参りして両社の御朱印を頂きました😊
平日でしたので参拝者は私一人でしたよ!会津田島にある神社で大きな赤い鳥居が目印です!参拝後、境内を散策させて頂きました、御朱印も本当に丁寧に対応して頂き、直接書いて頂きましたよ!また参拝にまいります!
会津田島の祇園祭の2日目(7月23日)「七行器行列(花嫁行列)」が見たくて頑張ってみましたが、ムスメで足止め!?😩😮💨😓😢朝🌄6時半には出たが…😓⤵️高速、甲子道路と急ぎ、40分足りず8時前の出発には間に合わず😱😓😢😢⤵️役場は関係者!(奥の駐車場に)暑い中、通行止めの街中と駅前の露店を見ながら神社まで…駅裏の方角警察署向かい側!(隣りに会館と駐車場🅿が有った?)(❈途中、熱中症の年配の女性に4〜5人と近所の夫婦が…)神社内は入口隣りに太鼓🥁🪘の会場&テント⛺、境内には多過ぎる程の人、人、人…😱😩お祭りってこんなもん!😅😅😅ただ、地域の人と「観光客は年齢層高め&カメラマン📷」ばかり!?既に神殿で神事が始り、周囲を囲むカメラ小僧📷って感じでした!😅😅(背の高いおじさんに三脚、足台の方と見えん!撮れん!!😮💨)半分程見て、入口辺りの全体写真撮影を見て、列を整え町内を廻る出立を見届け、田島太鼓🥁?の実演を見て戻りました!😀😄⤴️ただただ暑い💦、日陰に日傘☂に水分補給🚰🥤!🥵🥵❈コロナ後4年ぶり?ヘリコプター🚁が飛び新聞📰テレビ📺がインタビューしてたカナ?花嫁👰👘のキレイな着付け、ヒモで締めるので顔に汗💦をかかない!スゴい💞(珍しい角隠し、べっ甲のかんざしが年代物?キレイ💞)暑い💦を除けばそれは有意義な時間でした!m(_ _)m❈列の出立を見届けるとゆっくり神社で御参りの列!それを見た夫婦の会話「神様は御神輿に乗って出たから今お留守なのに!」納得!!😅😅😅⤵️御守りだけに!
前々から、大きな鳥居が気になっていました。熊野神社と同じ拝殿。拝殿の裏に回ると別々の本殿が。幣殿が雪で壊れてしまい、そのままになってしまっているとのことでした。ご朱印をいただきました。熊野神社のご朱印は、熊野神社の社務所にていただきました。
駅から近いのに落ち着いた雰囲気の神社。お宮参りと思われる家族がいました。
町の真ん中でしょうか。ふと目にとまり引き返して参拝させていただきました。熊野神社さんと隣接。奥が深い。また参拝します。
会津鉄道 会津線 会津田島駅から徒歩9分、福島県南会津郡南会津町にある神社『田出宇賀神社』さん。同じ境内に熊野神社が鎮座しており、社殿(拝殿)は同一で、向かって左が熊野神社、右が田出宇賀神社となっている。毎年7月22日から24日に掛けて、田出宇賀神社と熊野神社の共同開催(田出宇賀神社の祇園祭と熊野神社の例大祭)で『会津田島祇園祭』が開かれる。京都市八坂神社の祇園祭、福岡市櫛田神社の博多祇園山笠と並ぶ、日本三大祇園祭の一つとされている。●社名: 田出宇賀神社●住所: 福島県南会津郡南会津町田島宮本甲629●御祭神:・宇迦之御魂命(伏見稲荷大社主宰神)・天照大御神(三貴神の一柱、伊勢神宮主宰神)・素戔嗚尊(三貴神の一柱、須賀神社主宰神)・和久産霊命(神産みの段、伊邪那美命が火之迦具土神を産み火傷をし、病に伏せた際に出た尿から産まれた神)・元々は、素戔嗚尊ではなく牛頭天王が御祭神。・社名に宇賀があるので、本当は白蛇が泉から出でたのと思うが…。●由来:・創建年、不詳。・昔、この地の田の中心にあった小島の泉より、神が現れた事により、地名を「田島」に改称し、この神を「宇迦之御魂命」と崇め、『田出宇賀大明神』創建。・文治年間(1185~1190年)、長沼宗政の祇園信仰により、八坂神社より牛頭天王を祀る。・1868年、神仏分離令により、牛頭天王を素戔嗚尊に代え、天照大御神、和久産霊命を加え『 田出宇賀神社』に改称。・1879年、田出宇賀神社の祇園祭日に併せ、隣地にまつる熊野神社祭礼を祇園祭の格例に準じて行うことが定められた。●御朱印:・社務所にて初穂料500円にて直書きの御朱印を拝領。・境内社の『朝日稲荷神社』『三石神社』『瀧神社』の御朱印も拝領出来ます。
令和四年今年度の 田島祇園祭は、花嫁行列をやりませんでしたが 神事は執り行われ おとうやを出発するとき雨が降って 心配されましたが歩き始めたらやみました。花嫁行列がないですが 厳かにななほかいを運ぶ羽織袴の人達を見て ああこれが神事なんだなあと 思い知らされました。素晴らしかったです、
名前 |
田出宇賀神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0241-62-0460 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.2 |
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もともとは宇賀之御魂命(うがのみたまのみこと・五穀豊穣の神)を祀っていたのだろう。祇園祭の始まりが、すさのおのみこと を合祀してからはじまった、とある。_________________❶【参考 南会津案内誌 昭和12年】田手宇賀神社(昭和12年の書による紹介文となる)[祭神]素戔嗚命(すさのおのみこと・防疫の神)稲倉魂命(うがものみたまのみこと・五穀豊穣の神)大日要命658年(斉明天皇御宇4年)5月の勧請である、とある。昔、人がこの場所に住み始めた頃、飲用の水を探し求めたときに、柳の木の下に湧き出している霊水をみつけたという。その湧き出でたる水の中に、稲が生えて実っている様は、田のようであった、という。この場所に神をまつり、四方を開拓し水田とした、という。そのかたち、島嶼(とうしょ・島々の意味)に似ている事から、地名を田島とよび、神を 田出宇賀大明神、田島大神、また、起源大鎮守 と称していた、という。中世に至り、神殿が兵火により神村また歿せられた。1189年(文治5年)下總の結城より長沼家政がきて、領する事となり、神田を奉り、殿宇を営繕し、弓矢、刀剣、武具を献納した、という。例祭には家臣が出席し、神輿渡御(みこしとぎょ)に供奉したという。1573年~1592年(天正年中)伊達政宗の侵攻後、神輿渡御を中絶していたが、1603年(慶長8年)蒲生氏の家臣である小倉氏が城代の時に再興したという。現今(昭和12年)の祭日は7月20日であり、参詣の人々が群衆をなし、神輿渡御式もあり、その行列昔を想わせて、まことに壮観(そうかん)である。また踊屋台(おどりやたい・、街を引き回しながら、上で踊りをおどる屋台)等の催しがり興(きょう・楽しみの意味)を添える山間稀有(さんかんけう・山間のめったにないめずらしいの意味)の大祭である、と締めくくってある。________________❷【参考 会津の名所旧跡 1956年】田出宇賀神社(1956年の書による紹介文となる)文治年間 鴫山城(しぎやま城)長沼家正が下総の結城から素戔嗚命を勧請してきて、この神社に合祀されてから、祇園祭が始まったものである、とある。