生糸貿易の夢を紡ぐ、豪商の足跡。
中居屋重兵衛店跡の特徴
横浜開港に貢献した生糸貿易者、中居屋重兵衛の史跡です。
懐かしい中庭で小鳥が飛び交い、当時の喜びを想像できます。
ガラス張りの水槽で泳ぐ金魚が、訪れる人を魅了します。
中居屋 重兵衛は江戸時代の豪商・蘭学者。火薬の研究者です。中居屋は屋号で本名は黒岩 撰之助、異名に中居撰之助と名乗ったそうです。開港直後にもっとも多くの生糸の輸出をしたが、万延元年に幕府から営業停止命令を受けて2年ほどで没落したそうです。
横浜開港と生糸貿易…日本の近代化に貢献した人々の史跡。
中居屋重兵衛は、上野国吾妻郡中居村(現在の群馬県吾妻郡嬬恋村三原)の出身です。1859年(安政6年)の開港時、横浜で生糸貿易の半数以上を占めた中居屋重兵衛の店があった場所です。
中居屋重兵衛は、群馬県出身の生糸貿易で財を成した、豪商であり、蘭学者であり、火薬の研究者であった。桜田門外の変で、井伊直弼を撃った銃は、この人が提供したとも言われている。
生糸貿易で開港時の横浜が発展していったのを知り勉強になりました。しかし「金網を張った中庭に小鳥を放ち、座敷の廻りにはガラス張りの大きな水槽を置き、金魚を泳がせていた」というのはスケールが大きすぎて想像ができません。商談に訪れる外国人達はそのおもてなしにびっくりしたことでしょう。やはり日本人のおもてなしの心は昔から変わらず粋だなと思いました。
現在は説明書きしかありませんが、金網を張った中庭に小鳥を放ち、ガラス張りの大きな水槽に金魚を泳がしていたなんて、当時の人はさぞ喜んだことでしょう。
桜田門外の変の黒幕?とも言われる人のお店跡です。説明文のみ。
名前 |
中居屋重兵衛店跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.4 |
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なかなか夢のあるお話です。