新発田城、歴史感じる美しい堀。
新発田城跡の特徴
表門と丸櫓は江戸時代から現存する貴重な城郭です。
新発田藩主・溝口秀勝が築城した歴史ある城跡です。
入城料は無料で、ボランティアガイドが常駐しています。
新発田城は日本百名城に認定されている。かつての新発田城の本丸の一部が新発田城址公園として整備され無料開放されている。ただし、冬季は閉鎖されるため見学は4~11月のみ可能となっている。かつての新発田城は平城で本丸を二の丸が取り囲み、南に三の丸があった。かつての本丸の大部分と古丸、二の丸の一部は自衛隊の駐屯地となっているため、整備された城址公園は本丸の南側の一部にとどまる。明治維新以降、城址が陸軍の駐屯地となった例は他にも多いが、現役で自衛隊駐屯地となっている城郭は新発田城くらいではないだろうか。予備知識無しで訪問したため、その狭さに驚かされた。しかし、その狭い範囲に本丸表門と旧二の丸隅櫓の重要文化財に指定されているふたつの現存遺構と2004年に木造復元された三階櫓と辰巳櫓、本丸南側石垣、内堀の一部がある。日本海側で現存遺構が残る城は少ないので大変貴重である。また現存遺構含めすべて無料公開されている。(復元された三階櫓のみ自衛隊敷地内なので外観のみ)新発田城は元々は鎌倉時代に新発田氏によって築かれ新発田氏代々の居城であった。新発田氏は戦国時代に上杉氏によって滅ぼされた上杉氏の会津転封により溝口秀勝が入封し、そのまま初代新発田藩主となり、溝口氏は明治維新までこの地を治めた。溝口秀勝により新発田城の築城が始められ、三代宣直の時代に完成した。明治の廃城令で廃城となり陸軍駐屯地となった。
2025年9月9日(火曜)、9時初登城。基本周辺の駐車場は無料ですが、表門のすぐ右側の駐車場は枠も無く10台ぐらい停められるか。道の対面にトイレあり。三階櫓の方にもトイレ付き無料駐車場がありますが、こちらも小さめです。土日なら朝一、又は平日に来られると良いかと。4月1日~11月30日が公開期間。表門は9時に開門されます。城内見学は無料。表門、辰巳櫓、旧二の丸隅櫓の3ヶ所が内部見学できます(全て木造)。が、⚠️本丸部分の大半と一番大きな三階櫓(3匹の鯱)は自衛隊の敷地内なので入れません。内部資料に特別目を引くような物はありません。甲冑や刀剣無し。ももクロのサインはありました。三階櫓の左側にある、白壁兵舎公報資料館(無料)と合わせて見学されると良いかと。城20分、白壁40分と言ったところか。白壁はゴールデンカムイや、映画八甲田山で人気のよう。中に売店があり、オリジナル物もありました。
日本100名城の一つ新発田城跡です。縄張の大部分は自衛隊基地?になってしまっており見れる場所は随分と限定的ではありますが、移築された櫓や、復元された櫓を見ることができ、石垣と堀はキレイに維持されているので見応えあります。駐車場は数台停められるスペースがありましたので、よっぽど運が悪く無ければ大丈夫だと思います。スタンプは門をくぐってすぐの場所にいる方に言えば出してくれます。
R7.5.24に訪れました。新潟県に行くことが久しぶりだったので、100名城の一つである新発田城に行ってみました。大半が陸上自衛隊の基地となっており、そこまで敷地は大きくありません。入場料が無料ということもあり、気軽に入ってみましたが、櫓の内部を見ることができてとても満足しました。ももクロとコラボしているらしく、ライトアップ時に、ももクロメンバーのイメージカラーでライトアップされたみたいです。機会があれば、また行きたいと思います。
三階櫓付近と表門門付近に無料駐車場があります御城印は表門の前の茶屋で300円で購入できます百名城スタンプは表門に置いてあります入城料無料で2階櫓や表門の中に入る事が出来て中は資料館になってます三階櫓駐車場隣の白壁兵舎広報史料館(自衛隊の資料館)からも三階櫓が見えますのでこちらも無料施設なので合わせて見学するとよいかもです。
ここは表門、旧二ノ丸隅櫓、辰巳櫓、三階櫓があります。明治の廃城令で櫓、門の多くが取り壊され堀も大部分が埋められました。本丸と二ノ丸の約半分は陸軍の管轄となり、昭和28年からは陸上自衛隊が使っています。三階櫓は自衛隊の敷地内にあるので入る事は出来ません。眺めるだけです。辰巳櫓は堀部安兵衛とゆかりがあります。
結論的には非常に落ち着く良く整備された心地良い城跡であると厳しく断定する。所要時間は周囲をゆったり歩く時間も含め約60分はみておきたいところだな。お濠も綺麗し、現存門、現存櫓もある、復元櫓も非常に良い雰囲気を醸し出している。城跡遺構の範囲はかなり狭いものの、この感覚はお城好きな方にはわかってもらえるのでは?と思ふ。ゆったりと歴史を感じるにはとても良い場所である。是非とも諸君にもこの感覚を味わってもらいたいね。
日本100名城初代新発田藩主、溝口秀勝が築城。完成は三代宣直の時。切り込みハギの石垣と堀が見事。春は桜も咲いて綺麗な景色を拝めます。天守閣(三階櫓)は2004年に復元。海鼠壁に、丁字型の独特な屋根を持つ天守ですが、自衛隊の敷地内という事もあり一般公開はされていません。本丸の一部は立ち入りが可能で、本丸表門や辰巳櫓等が拝見できます。
「新発田城」、新潟・東北「日本100名城」巡りの旅で行ってきた。新発田駅から1.7kmほぼ平坦なので十分歩ける。桜も開花しておりとても綺麗だ。この城の歴史や概要を説明する前に、「新発田城」には、大きな特長がある。それは自衛隊基地の敷地にあり、現在は本丸の一部を除く全域と古丸全域、二の丸の一部が自衛隊駐屯地として利用されている。明治以降多くの建物が取り壊されたが、本丸表門と旧二の丸櫓が現存し、御三階櫓と辰巳櫓が復元されている。三階櫓は2004年に復元されたが、自衛隊の新発田駐屯地が城郭内にある為、公開はされていない(自衛隊のイベントで期間限定で公開あり)。その代わり二階櫓は無料公開されている。新発田城は戦国時代に上杉謙信の父長尾為景と対等に渡り合えるほどの力をもった新発田氏の居館跡に1597年(慶長2)入城した溝口秀勝が翌年から新たな縄張りにとりかかり、3代溝口宣直の時代に完成し、代々溝口家の居城となった。
| 名前 |
新発田城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0254-22-9534 |
| HP |
http://www.city.shibata.lg.jp/shisetsu/kanko/kanko/1005061.html |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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新発田城は、別名「あやめ城」とも呼ばれ、初代新発田藩主溝口秀勝(みぞぐちひでかつ)侯が慶長3年(1598年)に築城し、3代宣直(のぶなお)侯のときに完成しました。新発田城は一般に多くある山城とちがって、政治・経済の中心として交通の便利さを考え、平地につくった平城です。石垣がすき間なくかみ合うようにきちんと積まれる「切込はぎ」と呼ばれる美観を重視した技法でつくられ、白と黒が美しい海鼠(なまこ)壁で仕上げられています。 春の桜の季節、真冬の雪をすっぽりかぶった様子、四季折々の風情があります。城の表門前に、すっと立っているのが堀部安兵衛の像。赤穂義士の討ち入りで中心的な役割を果たした安兵衛。像の顔は、しっかりと江戸を見つめています。新発田城はかつて本丸、二の丸、三の丸からなり、堀や石垣に囲まれ、新発田川の水を巡らせた平城で、11棟の櫓と5棟の門が並び壮観な景観を呈していました。中でも、天守閣の代わりを果たしていたのが三階櫓です。3匹の鯱を配するという独特の櫓で、全国にも例がない大変珍しいものです。平成16年には、この三階櫓、辰巳櫓が復元されました。新発田城の別名を菖蒲(あやめ)城というのは、周囲に湿地が多く菖蒲がたくさん咲いていたためという説があるからだ。浮舟城という別名も、加治川の堤防を破壊すれば城を水浸しにして防御できるよう設計されていたとされる説が由来だ。ちなみに狐の尾引城(狐尾曳ノ城)という別名もあり、これは縄張(設計)を担当した長井清左衛門(葛西外記という説も)に、狐が枕辺に立って雪の上に尾で図を示して教えたという伝説のため。城は3代・溝口宣直のときに完成したとみられ、二の丸の御蔵屋敷北側にある古丸が重家時代の新発田城の本丸と考えられている。