潤島星宮神社、鰻を避ける風習。
星宮神社の特徴
潤島星宮神社では、独自の伝承が色濃く残ります。
磐裂神と根裂神を祀る由緒ある社で、歴史が魅力です。
毎年の大祭日には、星宮家からの幣帛奉納が行われます。
この周辺の氏神さまです。裏に小さな池が有り、ウナギを食べる事を禁じる言い伝えが残っています。
以前 北斗星や カシオペアが 運転されている頃は(その 遥か前からでしょうか?)たくさんの 📸撮り鉄の人達が 集まって居ましたが さすがに 最近は 寂しいですね、まぁ 私も よく 撮影に行ってましたけどね、😉
| 名前 |
星宮神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| HP |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-tochigi/jsearch3tochigi.php?jinjya=75761 |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
|
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潤島星宮神社(うるうじまほしのみやじんじゃ)御祭神 磐裂神 根裂神配祀神 軻遇突智命境内社 末社合殿(天満宮、愛宕神社、須賀神社、八幡宮、厳島神社、雷電神社) 稲荷神社由緒寛政(1800)の頃の記載「都賀郡 正一位 星宮大明神 関島 自性院都賀郡 正一位 八幡宮 関島 自性院」(関島は潤島の誤)(「鹿沼文書・下野神名帳」参照)明治三十六年(1903)の記載野木村大字中谷鎭座 村社 星宮神社 祭神磐裂命 根裂命末社一社 氏子三十一戸本社創立不詳 社域四百六十五坪を有し字星宮に在り(「下野神社沿革誌」参照)當星宮神社は掛けまくも恐き磐裂神根裂神を齋き祀る御社なり古記録の傳る所に依れは天正十一年(1583)閏島村開基の時勧請し、其後享保十九年(1734)二月十五日通稱星宮家と稱する新井氏の祖と、時の自性院大雲寺住職と共に京に上り、正一位の宗源宣旨を奉戴したるものと傳ひ、爾來大祭日には今尚星宮家にて幣帛を奉るを例とす明治維新の際太政官布達により神佛混合を禁せられ野木神社社司海老沼友喜同社掌熊倉多作の兩氏兼務せしが、大正六年(1917)熊倉氏辞任大正十一年(1922)海老沼氏歿後、子息忠雄氏代りて兼務せしが、昭和十二年(1937)同氏歿後、間々田八幡宮社掌栗原政次氏現に兼務社掌たり明治五年(1872)村社に列せらる明治四十年(1907)八幡宮雷電神社嚴島神社愛宕神社天満宮須賀神社を合祀し奉る境内は元官有溜地なりしを明治二十三年(1890)拂下け爾來祭田と称し年々其耕作米にて神酒を醸し大祭に神饌に供す神社名義に更め社地となす畑二反三畝歩は八幡宮跡地畑三反八畝十二歩は雷電神社跡地なり畑一町一畝十歩は大正三年(1914)官有地を拂下く社掌兩氏と氏子総代諸氏の想像以上の努力の結果無償社地となりたるものなり田二反四畝二歩は元官有溜地なりしを大正十年(1921)耕地整理施行の際時の區長、村會議員、委員諸氏の奔走努力により無償社地となる畑銃八歩は献地なり茲に皇紀二千六百年奉祝記念事業として社号標建設に當り當社の沿革の大畧を記し後世に傳へんとす(境内「星宮神社沿革碑」参照)神仏判然令施行以前は虚空蔵菩薩を本尊として祀っていたことから、この辺りでは鰻を食べないと言う風習が残っています。境内にも「うなぎを食べない村伝説発祥の神社」石碑があります。「下野伝説集」にも記載があります。潤島に星の宮がある。西北側に古い底知れない池があり、黄楊の樹が掩っているが、この黄楊が御神木だという。この池は、春になり端の霜柱もとけると、蛇かと思われるような、大小無数の鰻が泳ぎだす。村人は星の宮に参詣の折は、必ず池に米を撒き、合掌する。それで鰻が水面を泳ぐようなら、一生懸命に拝むのだが、この鰻は眼の神として尊信されている。この地に生まれて鰻を食べたりする者はいない。禁を破って星の宮の池の鰻を捕って盲になった人もたくさんあるという。おかげで池は鰻にとっては極楽の天地になっており、随分大きなものも住んでいるという。近年のこと。ある子が池の近くで大きな鰻を捕まえた。これを家の池に放そうとすると、父親が、鰻は美味いんだ、食うと罰が当たるなんて昔の話だ、といって、家族が嫌がるのにもかまわずに、料理して食べてしまった。そして覿面に、その子は翌日から目が痛みだしたのである。医者に見せてもどこも悪くなく、薬をつけても痛みは治まらなかった。父親は悪く思って、星の宮に日参したが、そのかいもなく、この子は失明してしまったという。それで星の宮の鰻への信仰はますます盛んになったというが、こういった鰻を食わない風習は少なからず本県各地に見える。(栃の葉書房「下野伝説集 あの山この里」参照)また境内には、35貫目(131.25kg)の奉納力石もあります。社殿右後方に、途中から伐採されてしまっていますが、野木町名木として「すぎ」の太い切株が屋根付きで保存されています。境内前方東側角に、享保元丙申年(1716)九月と延宝八庚申年(1680)霜月の青面金剛や萬延元年(1860)庚申十一月の庚申塔があります。