平和を祈る供養塔の傍で。
戦災死者供養塔と簀子小学校の赤レンガ屏の特徴
供養塔は犠牲者を追悼する特別な場所です。
広場では子供たちが遊ぶ、温かい光景が広がります。
歴史的背景を持つ、1945年の平和の象徴があります。
広場で子供たちが遊んでいるのを、見守ってくれているよう。
1945年の6月19日から翌6月20日にかけて、福岡はアメリカ軍のB29により空襲を受けました。「福岡大空襲」天神や博多など福岡市の中心地区がターゲットとなっていましたが、簀子地区はとくに被害が大きかったと言われています。 簀子地区のすぐ南側の福岡城址に軍関係の施設が集中しており、この周辺はとくに重点的に攻撃されたといいます。 簀子公園内にある供養塔には、昭和二十年六月十九日夜 大空襲に依り簀子校区内にて百七十六名戦災犠牲となるとあります。福岡大空襲では約1000名が犠牲になったと言われていますので、犠牲者の2割程度が簀子地区に集中しています。 簀子公園横の簀子小学校の敷地内に多くの負傷者や犠牲者が運び込まれていました。しかし、小学校敷地内に収まりきれなくなったために隣の簀子公園に運び出すことになりました。小学校から公園に行くためには一度外に出て ぐるっと回ってから公園に行かなければならず、緊急を要する時にそのようなことをしている暇はありません。 そのため、緊急的に赤煉瓦の一部を破壊して小学校から公園への通路を臨時で作成したのだそうです。その後、赤煉瓦は修復されましたが、その痕跡はいまでも残り続けています。
| 名前 |
戦災死者供養塔と簀子小学校の赤レンガ屏 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
092-608-0001 |
| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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供養塔を見る度に、犠牲者を追悼し、平和な日常に感謝します。