高木城主伝説の円成庵。
円成庵はかつての高木城主の乃生氏が以前の領坂出市王越町乃生から移された木造六字尊立像を保管している庵である。六字尊立像は、多肥観音の名で人々の信仰を集めてきた像である。像は桧材で、高さ197センチある。顔は温和で、眼は彫眼である。浅い彫りと薄い体奥等から、平安末期の地方作と推定される。人々の苦悩等を救う観世音菩薩の功徳は33あると言われ、それに応じたのが、33観音の由来である。本像は観音の化身であり、全国的にも類列をみない、極めて珍しい像である。
名前 |
円成庵 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
5.0 |
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円成庵(六字明王堂)は「多肥の観音さん」として地元では親しまれています。その容姿から「片足観音さん」「六手観音」とも云い、その異様な姿に畏敬の念を持って祟拝してきました。昔は「六字明王」と呼ばれ、観音堂を「六字明王堂」とも呼んできました。翁嫗夜話には、六字明王は観音の化身なり、故に俗称多肥観音と云う。北條郡高屋(坂出市高屋町)に神谷兵庫忠資なる者あり、細川氏に属して功あり。賞として乃生、木沢の二邑を食せしめる。これに於て乃生村に移り氏となす。後に多肥郷を加封され乃生、木沢、多肥の三邑を食む。世々六字明王を尊信して其の像を安置し東光坊をして奉守せしむ。曾孫の乃生村孫兵衛元忠に至りて多肥に遷り一城(高木城)を営構してこれに入れり。然して明王を奉じてこれに従う東光坊をして守らしむること故の如し・・・世俗之を称し「多肥観音」と云う。天正中、乃生村氏邑を喪うも子孫世々其墟に住む。頼景の後、農民となり重兵衛、太郎左衛門・・・これなり。とあります。その後は子孫にあたる喜多家や檀家寺が代々観音堂を守っています。観音堂の創建は「文禄三午三年小僧宥都仁六字法十万座修建立」と記録があります。その後五度ほど建替えました。文禄三年(1594年)の建立は現在の地でなく高木城内に有ったものと推測される。現在地に創建したのは、慶長十八年であろうとするのが適当でありましょう。六字観音は元々は乃生村か高屋村に安置されていたものを多肥に移したもので間違いはないでしょう。この観音様は六字観音を六字明王と称したもので六字は六時であり四六時中の意味で寝ても覚めても国土人民安泰を守る守護仏であります。観音の容姿を備えながら天部像で護法神としての異様な形相をとり足をあげ刀を抜き放っているのは他に類例を見ない珍しい仏で藤原時代末期(12世紀)の作の秀作であります。小さな庵寺ですが肥間川沿いで春は桜並木が見事ですし大変良い空間です。