威風堂々な巨福門へ。
総門の特徴
鎌倉五山の第一位として、参拝者を迎える重要な入り口です。
京都の槃舟三昧院から移築され、威厳ある姿を保っています。
建長寺の総門は、1783年に建立された歴史的な建造物です。
建長寺の総門です。堂々としてました。
威風堂々たる姿にしばし立ち止まり見上げてしまう。実に素晴らしい。昔、サザンがLIVEやったのはココでしたっけね。
総門の額には巨福山と書かれている「巨」の下の部分に点が入っています。これは宋の禅僧の一山一寧の筆とされているそうです。一つの点で百貫の値打ちがあると言われてており、「百貫点」と言われているそうです♪
1940年に京都から移築されたのはしらなんだ1783年建立。
電車で行くのならば、JR横須賀線・北鎌倉駅から鎌倉駅方面に向かって歩いて20分強くらい、JR横須賀線&江ノ島電鉄・鎌倉駅東口から北鎌倉方面に向かって歩いて30分強くらい、バスで行くのならば、JR横須賀線・北鎌倉駅から江ノ電バスで5分強くらいの建長寺バス停下車すぐ、JR横須賀線&江ノ島電鉄・鎌倉駅から江ノ電バスで10分強くらいの建長寺バス停下車すぐのところにある、日本初の本格的禅寺であり、鎌倉を代表するお寺のひとつである。正式には巨福山建長興国禅寺といい、山号は地名の巨福呂から、寺号は年号からつけられた。本尊は木造地蔵菩薩坐像である。鎌倉五山の第一位、臨済宗建長寺派の大本山である。建長5年(1253年)に鎌倉幕府五代執権・北条時頼(ほうじょうときより)公が建立したわが国最初の禅寺である。建長寺の開山(創始者)・蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)は、中国の高僧・無明慧性(むみょうえしょう)に学び、寛元4年(1246年)33歳で来日し、九州、京都を経た後、鎌倉に入り、北条時頼に請われて建長寺に迎えられたとのことである。蘭渓道隆は、中国宋時代の純粋で厳しい禅をそのまま導入し、建長寺を天下の禅林として多くの僧を集め、中国文化の受容、勉学の場として、一時は千人を超える修行僧を指導したそうである。その教えは現在国宝として寺に残る「法語規則」に見ることができる。「鞭影を見て後に行くは即ち良馬に非らず、訓辞を待て志を発するは実に好僧に非らず~」。蘭渓道隆はその後、京都の建仁寺、甲斐の東光寺等にも移り、弘安元年(1278年)に再び建長寺に帰り、66歳で亡くなり、後宇多天皇より「大覚禅師」という禅師号を賜わった。これは日本で最初の禅師号である。北条時頼は、建長寺を建立し、大覚禅師や、第二世住職・兀菴普寧(ごったんふねい)に師事し、禅の教えに深く帰依した。また、時の権力者として経済的にも建長寺を支え、全国的に禅宗を広め、自らも出家して法名を「覚了房道崇(かくりょうぼうどうすう)」と名乗った。建長寺総門は、天明3年(1783年)の建立とされている。1940年に京都の般舟三昧院(はんじゅざんまいいん)から移築されたものである。総門に掲げられた「巨福山」の額は、建長寺10世住持で、書の名手である渡来僧・一山一寧の筆と伝えられている。「巨」字の第3画目の下に、余分な「点」が書き加えられているが、この点があることによって字に安定感が出ているとされる。
駐車場は有料です。1時間¥600ですが1時間毎に料金が掛かってきます。平日は混んでない状況です。入館料も有料¥500ですが建長寺の山頂まで境内なので勝上嶽展望台まで登っても料金は一緒です。今は桜の季節なので総門から山門まで歩く桜並木の景色は最高です。全ての植栽が非常に細かく手入れされていて何を見ても綺麗でした。境内に入り総門を過ぎるとお土産屋や売店は無く自動販売機で飲み物がたまに買えるぐらいですので境内全てを回るなら飲み物は持って歩くのが良いと思います。トイレは方丈龍王殿を過ぎると一切無くなるので山頂の方へ向かう前に済ませておいた方が良いと思います。
令和2年7月に参拝!臨済宗総本山、この総門の大額は有名ですね!
巨福門ともいい、天明3年(1783)に建立された京都の般舟三昧院の門を昭和15年に移築したものです。額の『巨福山』は建長寺第十世住職一山一寧の筆によるものです。
京都から移築されたそうですが、建長寺の壮大さによくあうと思います。
名前 |
総門 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.3 |
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建長寺の総門は天明3年(1783)建立の京都の槃舟三昧院より昭和18年(1943)に移築されたそうです。額は第十代住職一山一寧の筆によるものだそうです。