戸塚の地名由来、歴史感じる神社。
冨塚八幡宮の特徴
戸塚宿から歩いて訪れる、ゆかりのある歴史的な神社です。
平安時代創建の由緒ある場所で、戸塚の氏神様として親しまれています。
冨塚古墳を背後に抱える丘の上に位置しており、風情ある散策が楽しめます。
戸塚駅から徒歩圏内にある神社です。とても歴史を感じることのできる神社で素晴らしかったです。鎌倉からあがった初鰹は戸塚を通り江戸に行っていたという知識を知ることが出来ました。
戸塚に10年程住んで居た時に、事が有る毎に良く行きました。てか、仕事の行き帰り時に毎日(休みの日は除く)横を通ってました。急な階段を上がって社殿迄行くと、たかだか十数メートルの高さだと思いますが、空気が全く違って凄く落ち着く素敵な場所です。目の前、眼下には旧東海道で車や何やらがバンバン通って居るのに。(てか、まあ、神社なので、あたり前田のクラッカーですが)
『戸塚』の名前の由来とも言われている(諸説あり)。七五三のシーズンは、着物を着た可愛い子供達の姿も見かける、区民に愛されています。地元町内会の夏祭りや、会合の場所にも利用されています。急な階段を登ると立派な本殿があります。並びの鳥居には学問の神様が居て、合格祈願でも有名(地元のみ)です。以上、浅い知識ですが素敵なお宮です!
旧東海道散歩で訪問。長い階段の上に社殿があります。立派なお神輿が置かれていました。
丘の中腹にある平安時代に創建されたとされる由緒ある神社。石段を登った先にある本殿の辺りは木々に囲まれており、どことなく神聖な感じがします。ただ階段でしか行けないので、足腰の弱い方は大変かもしれないです。
戸塚宿散歩で寄りました。
病気で脚が不自由なので杖で長い階段を昇りました。一段一段に高さが有るので大変でしたが、達成感があり清々しい気持ちになれました。古くから在り落ち着いた雰囲気の神社でした。また新年にチャレンジしたいと思っています。
戸塚の氏神様。戸塚駅からは徒歩で10分ほどで着きます。祭神様は開運厄除けの神様である誉田別命様(応神天皇)、戸塚鎮護の神様である富属彦命様になります。とても静かで季節を感じられる素敵な神社です。社殿は石階段の上にあり、足が不自由な方には少し大変かもしれません。また、階段を下る際には急なため、ご年配や足の不自由な方は付き添いの方と共に訪れることをオススメします。
初代の相模国造(さがみくにつくりのみやつこ)の子息、冨属彦の古墳と考えられる冨塚古墳が背後に在り、元はその拝殿として機能していたと思われる位置関係に有る。由緒正しい古社がよく古墳の上や、古墳の前方に設置される典型的な例に合致する場所。現在の静岡県と神奈川県と東京都と埼玉県は元は磯長(しなが)国と佐賀牟(さがむ)国の2ヶ国だったのが、駿河国、伊豆国、相模国、武蔵国の4ヵ国に古墳~飛鳥時代の間に再編成されているのが相模国と武蔵国の国府祭(こうのまち)に参加する神社と古代の海岸線の関係、神事に神馬奉納が有る事などから理解出来る。つまり、この冨塚古墳を擁する冨塚八幡宮は相模国成立直後に開かれた事が解り、仁徳天皇による平塚八幡宮の1国1社八幡宮の設置政令により八幡神(応神天皇=誉田別命)信仰が始まったとする伝承とも整合性が有る。通常古墳は交通の要所や海上交通の船から見える海辺の丘に築かれる。実は古代、戸塚を流れる柏尾川は栄区本郷台辺りまで入江で考古学的には古大船湾と呼称されている海だったので、当然ながら冨塚古墳も古代の湾の丘に存在している。実際、戦国時代に成っても大船駅前の玉縄城は柏尾川での輸送による商圏が築かれていたり材木を筏を組んで輸送したりしていた歴史が有る。古代から続くが仏教と結びついた八幡信仰だったので延喜式神名帳には記載されていない。つまり式外社と言う事に成る。ただ2020年11月時点で改善点を指摘するとすれば、亡くなった先代宮司の御息女が社務所に詰めているのだが自宅の感覚のまま対応されておられる。更に問題なのは歴代宮司が聖地として守っていた富塚古墳を本人は聖地として理解していないばかりか、本殿境内側からは古墳まで参道は無いと誤認してる事から無関心で、御祭神の古墳にろくに御参りもしていない事が解る。全く以って神社の成立の経緯も理解しておらず将来の神社の有り様が気にかかった。歴史認識や神社の御祭神が古墳の主で有る事を再認識し対応も改善される事を切に願う。
名前 |
冨塚八幡宮 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
045-871-2908 |
住所 |
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評価 |
4.0 |
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本殿の裏、左右に1つずつ井戸がある。左側には水が、右側には枯葉が溜まっている。山の上には古墳があるようだが、行ける道が見つからなかった。