ビル街の石碑と適塾の歴史。
大村益次郎先生寓地址の特徴
ビル街にひっそり立つ石碑が印象的です。
大村益次郎が通った適塾までのアクセスが便利です。
歴史を感じる場所で、訪れる価値があります。
ここから1.4キロほどの所にある適塾まで大村益次郎は通っていたんですね。
ビル街にひっそり立つ石碑。幕末の長州の軍事指導者の住居跡です。私は司馬遼太郎の花神を読んでから大村のファン。もし、合理主義者でなれあいをきらう感じに描かれていた大村が長生きをして陸軍の基礎をつくっていたらと考えてしまうからです。合理的な思考を重視する陸軍なら精神主義に走らず無茶な先の大戦もなかったかも、とまで夢想してしまいます。さて、石碑の周辺ですが。薩摩と長州の石碑跡がかなり近くに立っています。北浜まで足をのばせば大村の医学の師である緒方洪庵の適塾があります。土佐堀通りを歩くだけで幕末をしのぶことができるのは幸せです。
名前 |
大村益次郎先生寓地址 |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
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ここから淀屋橋付近の適塾まで約三十分で行ける。毎日通ったんだろうな。