芥川賞作家・火野葦平旧居。
火野葦平旧居 河伯洞の特徴
芥川賞作家・火野葦平が過ごした自宅の旧居です。
河伯洞は、河童好きから名付けられた名称です。
昭和の時代に浸れる、歴史を感じる場所です。
芥川賞作家の火野葦平が晩年を過ごして執筆していた場所。通常の建築価格の10倍はかかっているとのことで、希少価値の高い材木やデザインが採用されており、現在でも反りや老朽化は少なく当時のままの姿を残している。アフガニスタンで銃撃された中村哲さんは、火野葦平の甥っ子。ここにも何度か来られたとのこと。
「土と兵隊」「麦と兵隊」で有名な芥川賞作家・火野葦平が住んでいた家屋が、そのまま展示施設となっている。open10:00~close16:00。定休日は毎週月曜と第三木曜。駐車場は無い。入場無料。「河伯洞」とはカッパの住みかという意味で、火野葦平がカッパを愛していた事に由来する。木造家屋だが、当時屋久杉等の高級木材をふんだんに使用して1937年から1939年に2年の歳月をかけ建てられた。総工費は1万円ちょっとかかったのだという。当時1000円で家が建ったというから、相当豪邸であったことだろう。地元のボランティアの方が懇切丁寧に説明をしてくれて大変分かりやすかった。母屋は純日本家屋で1階の畳敷きの居間では、年始の宴会を行い、関係者や友人が100人集まったのだという。増設された洋風建築部分には、1階に子供部屋と、2階に書斎があり、火野葦平は執筆の際は、扉を固く閉ざし籠ったらしい。最後を迎えたのもこの書斎であった。庭には池があり、当時は鯉を飼っていた。また、サーカスから買ったメスのライオンも飼っていた。(すげぇ!相当エサ代が嵩んだことだろう)当時の火野葦平の生活の様子を伺い知ることができる。これ程見応えがあって入場料タダって凄いと思った。是非一度行ってみるべきだ。
2022年4月2日に初訪問。JR九州ウォーキングのコースで立ち寄りました。北九州出身の芥川賞作家・火野葦平が、昭和15年からその生涯を終えた同35年までを過ごした建物です。なお、「河伯洞」の名は、葦平の河童好きに由来し、河童の住む家という意味で名付けられたものです。2階の書斎からは、北九州を舞台とした数多くの作品が生み出されており、葦平の三男の玉井忠太郎さんが管理人を務めており、葦平にまつわる様々な話を聞くことができます。素敵な場所ですよね。
ボランティアの女性が居たが説明不足だなぁ。
芥川賞作家の火野葦平が晩生を過ごした旧居です😃JR若松駅から徒歩5分程の場所に位置され、河伯洞とは葦平が河童好きから名付けられた名称ですね!葦平の父である玉井金吾郎の波瀾万丈の人生を描いた小説『花と龍』はこの若松の地が舞台でありますよね!こちらの建物は、無料で拝観出来て常時、親切な管理人の方がおられて説明して頂けます🖐
館長さんのお話を聞きながら昭和の時代に浸る気持になります!
北九州の歌人ですよ保存大変です🎵
ひのあしへいだけどほとんどの北九州人は、ひのしょうへいの家って言う人多い!
作家火野葦平さんのご自宅です。息子さんが管理をされてて親切に書斎など案内して頂いたり色々とお話ししていただきました。火野葦平さんのことや昔の若松のことなど知ることができ楽しい時間が過ごせました。建物もとても立派で素敵でした。
名前 |
火野葦平旧居 河伯洞 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
093-771-0124 |
住所 |
〒808-0035 福岡県北九州市若松区白山1丁目16−18 河伯洞 |
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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HP |
https://www.crossroadfukuoka.jp/event/?mode=detail&id=4000000001228 |
評価 |
4.2 |
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北九州市若松区のイチオシの名所です。火野葦平が執筆をしていた書斎だけでなく、旧居の構造、内部の作り、材料やその加工の素晴らしさは、建築やインテリアとしても一見の価値があります。