戦国の痕跡、織田塚を訪ねて。
織田塚の特徴
戦国時代の織田VS斎藤の痕跡を感じる場所です。
周辺の町並みとは異なり、昔のままの風情が残っています。
ガイドツアーでの訪問が特におすすめのスポットです。
天文13年(1544年)9月22日に起きた、織田信秀による稲葉山城攻めの際に命を落とした約5000人の戦死者を葬った塚です。岐阜駅からは意外に遠いので疲れました。岐阜市指定史跡です。またもう一つの織田塚が近くの円徳寺にあるそうです。
信長の父、織田信秀が、斎藤道三の居城、稲葉山城を攻撃したあと、引き上げて兵が半分になったところ斎藤軍が城から出撃してきて、不意を突かれた織田軍は、織田信康ら5千人が討ち死にしたと伝えられているそうです。この時の戦死者の塚だそうです。霞町の住民の方々が献花や清掃活動をされ、大切に守っておられるそうです。
織田信秀が稲葉山城を攻めて加納口の戦いで斎藤道三に大敗、その時の戦死者がここと円徳寺境内に弔われてる。外側から鍵が開けれる扉がある。なんのためにあるのか謎。
ガイドがいるツアーで訪れた織田塚。地元民でも知らない者が多いだろう。情けないことだ。ブラタモリでも紹介されたときはうれしかった。(2022_05_06)
もっとアピールしてもいいのに。
周辺の町並みは変わっても、ここだけは昔のまゝです。
場所だけで見つけるのは難しい。写真をよく確認してからいくべし。
ばしょわからなかった。
織田塚なのになかなか修正されない。2018.05.16 やっと修正された。
名前 |
織田塚 |
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ジャンル |
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住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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評価 |
3.3 |
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あまりの狭さに驚きました。織田信秀と斎藤道三は争っていたんでしね、ところが息子の信長と道三は相性が良いのでこの辺りは不思議です。