江戸初期の横浜を感じる。
吉田勘兵衛の碑(天神坂碑)の特徴
天神坂の中腹に位置し、江戸初期の横浜開拓の歴史が感じられる場所です。
板碑の後ろには防空壕があり、地域の歴史を物語る興味深いスポットです。
細い坂道を登った先にあり、周囲の景観とも調和した落ち着いた雰囲気があります。
ハマっ子ならみんな知ってる?吉田新田の生みの親である吉田勘兵衛さんにまつわる石碑この付近を崩して土砂にして埋め立てに供したことそしてこの坂を天神坂と名付けたことが書かれてるそうな震災の影響か真ん中部分が寸断されたので補修してるのがよくわかる日ノ出町駅すぐ側。
板碑の後ろに見える塞がれた穴はご近所の方によると防空壕らしい。奥行きが5メートルほどあったそうだ。
天神坂の中腹にある、江戸初期の横浜開拓をした大阪の材木商。伊勢佐木町と関内駅の間の『吉田橋』、大岡川・中村川に囲まれた三角州の埋立地である『吉田新田』、横浜開港に伴い横浜道の整備によって吉田新田の堤に街並みが揃ったので、田畑を埋め立てた『吉田町』などが、吉田勘兵衛の名を由来としている。
細い坂道の途中に建っています。本来なら街を見下ろしていたのでしょうが、今は建物の影になってしまっています。吉田勘兵衛さんは1611年に大阪で生まれ、後に江戸で石材・材木商を営んでいたそうです。さらに横浜にて埋め立てに適した入海に目をつけ、明暦2年(1656年)に幕府の許可を得て新田の開発に着手したそうです。数々の苦労を乗り越え新田は完成し、彼の功績を称えて吉田新田と名付けられ、4代将軍徳川家綱から苗字帯刀を許されたそうです。横浜を開発した人ですね。
石碑のみあります。
名前 |
吉田勘兵衛の碑(天神坂碑) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
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帰り道にいつも通る道。吉田新田の勉強をするまでは何の碑なのかはわからなかった。夜は少し怖い。