浦上から浜口町へ、歴史を感じる。
旧浜口町電停石垣の特徴
被爆当時の電車軌道が通っていた歴史的な場所です。
浦上駅前電停から長崎医科大学附属医院までのアクセスがあります。
大橋の終点まで続いていた貴重な交通遺産を感じられます。
スポンサードリンク
名前 |
旧浜口町電停石垣 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
4.0 |
スポンサードリンク
周辺のオススメ

スポンサードリンク
スポンサードリンク
スポンサードリンク
被爆当時、電車軌道は浦上駅前電停から長崎医科大学附属医院(現在の長崎大学医学部附属病院)の下を通り、 浜口町電停に出てから大橋の終点まで続いていた。浜口町電停から下の川電停までは民家が軒を並べ、道路との高 低差のためにこの石垣が築かれていた。1945年(昭和20年)8月9日、午前11時2分、爆心地から南へ約400メートルの距離にあった浜口町電停付近は原子爆 弾のさく裂により壊滅状態となり、浜口町電停から爆心地に近い松山町電停の間では4台の電車が被爆し、多数の 乗客や乗務員が亡くなられた。その後、2000年(平成12年)に国道206号線の拡幅工事のため石垣の一部がこの地に移設された。長崎市はこの地で亡くなられた方々のご冥福をお祈りし、二度とこのような惨禍が繰り返されないことを願って、 この銘板を設置する。長崎市HPより。