福岡藩主黒田家の聖地。
福岡藩主黒田家墓所(東長寺)の特徴
福岡藩主黒田家の墓所がある東長寺です。
二代藩主黒田忠之、三代藩主の墓があります。
江戸時代に菩提寺として親しまれています。
二代藩主黒田忠之、三代藩主黒田光之、八代藩主黒田治高のお三方が埋葬されています。墓碑は三藩主とも花崗岩製の五輪塔。福岡藩主 黒田家墓所めぐりをするなら、黒田官兵衛、黒田長政の墓所がある崇福寺もどうでしょうか。
東長寺(真言宗別格本山東長密寺)は、江戸時代には福岡藩主黒田家の菩提寺となっていました。第二代、三代、八代藩主の墓所があります。
東長寺は、福岡藩主・黒田家の二・三・八代の菩提寺で、黒田家の準菩提寺となっています。
帰省の折に東長寺にご挨拶に行きました。博多駅から歩いて10分程で東長寺に辿り着き、正門から入って境内を左手に歩いて行くと、正面に見えてきます。福岡の基礎を築いた黒田家、二代藩主の功績に御礼申し上げます。以下、福岡市の文化財ホームページより抜粋させていただきました。大博通りに沿って、東長寺の築地塀越しに巨大な五輪塔がそびえている。福岡二代藩主黒田忠之(慶長7・1602~承応3年・1654)、三代藩主黒田光之(寛永5・1628~宝永4年・1707)、八代藩主黒田治高(宝暦4・1754~天明2年・1782)の墓所である。墓碑は三藩主とも花崗岩製の五輪塔であり、それぞれの墓碑は四十九本の花崗岩製の卒塔婆で囲まれている。承応3年(1654)2月12日に没した忠之の遺骸は、翌13日東長寺に安置され、在江戸の光之の命を待って3月21日同寺に葬られた。墓前に並ぶ5基の五輪塔はこの時殉死した田中五郎兵衛栄清(龍華院殿春庭永喜)、竹田助之進義成(春嶺院殿花心淨蓮)、長濱九郎右衛門重勝(修徳院殿道壽宗清)、深見五郎右衛門重昌(實相院殿一如真空)、尾上二左衛門勝義(陽桃院殿長壽正仙)の墓碑である。また傍らには、同じくこの時殉死した明厳院(山伏秀栄)の墓碑が建つ。宝永4年(1707)5月20日に没した光之の遺骸は、22日東長寺に安置され、26日葬送の儀式があって棺は仮屋に納められた。天明2年(1782)8月21日の治高の逝去は、佐賀藩への長崎番交代依頼、幕府との養嗣子相続確認のため、10月24日まで公表されなかった。逝去当日崇福寺で法事が営まれた後、11月3日遺骸は東長寺に安置された。
| 名前 |
福岡藩主黒田家墓所(東長寺) |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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東長寺にある福岡藩主黒田家の墓所。歴代の福岡藩主3人の墓所があります。東長寺を菩提寺と定めた二代藩主黒田忠之の石塔は国内2番目の大きさを誇ります。