戦国の名残、鳳出観音の魅力。
鳳出観音教会の特徴
戦国時代に水野砦があった歴史を感じる場所です。
とりで観音の存在が地域のシンボルになっています。
歴史的な背景を持つ神聖な空間で深い信仰が感じられます。
とりで観音、戦国時代に水野砦が有った場所、とりでの読みだけ残りました。ここから成岩城を攻めました。戦国時代には、徳川家康の生母の兄の砦が有った場所。
| 名前 |
鳳出観音教会 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0569-21-5416 |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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鳳出観音教会(とりでかんのんきょうかい) 、「おかんのんさん」「とりでかんのん」と呼ばれている。教会といってもキリスト教ではない。これは当該地の西にある東郷町・常楽寺(西山浄土宗)の末寺。一説によると、かつては仏性寺の僧坊として成石神社(なるいしじんじゃ)の東あたりにあったが、仏性寺(常楽寺の西北あたりにあったといわれる幻の寺)が常楽寺に変わり、取り残されて荒廃していた1600年頃、成岩南部の信者の発願によって現在地に移されたという。1500年頃には成岩城の当時の領主榎本了円(えのもとりょうえん)の捕り手(とりて)小屋があったところと言われたり、成岩城を攻める緒川水野信元の陣(砦)があったところとも言われている。本尊は仏性寺の旧仏と言われる十一面観世音菩薩(市指定文化財)で、他に仏性寺の旧仏と言われる地蔵菩薩像と毘沙門天像がある。共に市指定文化財である。また、1700年頃に作られたらしい「石造丈六(せきぞうじょうろく)の大釈迦仏(だいしゃかふつ)」と「地蔵菩薩像」がある。地蔵菩薩は「歯痛地蔵(はいたじぞう)」とも言われ、大豆一袋を供え、この豆の芽が出るまでに痛みを無くしてほしいと願をかけてお参りし、治ったら豆腐を供えて御礼参りをすると言われる。1716年疫痢平癒のため、成岩の各字から寄進した「八観音」や行者堂、さらに南参道には1796年建立の子安地蔵(こやすじぞう)、西国三十三カ所観音が祀られ、観音講もある。古くから5月8日の鳳出観音の「花の塔」は、11月8日の北村のお薬師さん(北薬師教会)、そして、抱き地蔵さんの縁日(神戸川岸で花火を揚げた)とともに成岩の三大風物詩と言われ、念仏を唱える鉦(かね)の擬声「スイカンカン」がその代名詞であった。当日はその年の吉凶や豊作を占う「お試し」や三河から来る花売りも出て賑やかである。8月9日は、一日で九万九千日分の功徳がある「九万九千日のお参り」の日である。本堂と釈迦堂の間に文化7年、東浦連の曽江(そこう)、花実坊(かじつぼう)、雅潜(がせん)が建てた芭蕉の句碑がある。「疑ふな 潮の花も 浦の春」最初の寺域は、東へ数十メートル、北は成岩神社まで続く高台、西と南は深い堀であったが、大正7年県道開削によって寺域が分断され、山門を西へ5間 (10m弱)移動し、石段も改築されて現在に至っている。■半田商工会議所メールマガジンvol.511(2011/06/24)より引用___________________境内には梅、桜があり、大きな松も歴史を感じさせる。こじんまりしているが、ひっそりとした古刹で素敵な雰囲気を出している。普段は寺に住職はおらず、法要の際には常楽寺が行う。