淀君ゆかり、歴史を感じる石碑。
淀古城跡(豊臣時代)の特徴
妙教寺境内には淀君ゆかりの石碑があります。
ここがほんとの淀君の淀城、歴史の宝庫です。
コロナで境内見学不可、静かな時を過ごせます。
ナビで行くと、路地の突き当たりにお寺があり、お寺の敷地内に城跡の石碑があるのだが、コロナで境内見学不可と張り紙があり中には入れなかった。横には学校もあり、この辺り一帯が城跡だったんだろうと伺えた。
境内に石碑あり。遺構は全然分からないけど、少し坂を上がるところにあるため、雨が降って水かさが増しても大丈夫そうな感じ。そう思うと、桑名城なんか、台風で高潮になったら大丈夫だったんだろうか、と思ってしまいます。
淀城を守るは猛将と音に聞こえし岩成友通。寄せ手の三淵細川兄弟が劣勢と見て勇み足で出撃した岩にゃんでしたが、にゃんと!城門を預かる兵が敵方に内応して締め出されてしまいました。可哀想な岩にゃん・・・・・・・・・・その後、城門の外で鳴いて訴える岩にゃんでしたが、その声を聞き付けて来た藤にゃんずと取っ組み合いの大喧嘩となり水堀にドボン!
ここがほんとの淀君の淀城。感慨深い。
石碑以外なにもありません。
【戦国時代大いに関係あり】歴史的背景はネット検索の価値あり前期の細川家薬師寺、三好、松永、織田、細川、足利、羽柴兄弟、木村重茲、淀殿etc夕方ごろに行くとしまっていましたが、行けてよかったなぁと思いました。
妙教寺境内に淀君ゆかりの淀古城址の石碑があります。城の遺跡や遺構はありませんでした。
名前 |
淀古城跡(豊臣時代) |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/hu131.html |
評価 |
2.9 |
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西を桂川、南を宇治川に挟まれた古淀城跡に行きました。今は全く面影もなく妙教寺があるのみです。関ヶ原の後は徳川によって跡形なく葬られたのでしょう。この、古淀城は長岡京遷都、平安京の南の守り、戦国時代は山城と摂津の境界、天王山の戦い、秀吉ネネさんのロマンス、明治維新は戊辰戦争と歴史の随所に登場して来ます。なるほど、納所ノウソの交差点は六叉点でした。五番橋旧宇治川を渡るとそろそろ入り口が見えて来ます。昔は東の低地に小椋池が広がっていたことでしょう!