歴史漂う、内裏址の石碑へ。
二条富小路内裏址の特徴
中京区富小路通に位置する貴重な歴史的記念碑です。
後醍醐天皇や光厳天皇の内裏跡として名高いです。
かつての太政大臣西園寺実氏の邸宅が近くにあります。
花園天皇、後醍醐天皇、光厳天皇の内裏。太平記に出てくる(活躍する)人たちの大部分はここに来たことがあるんだろうと思うと感慨深い!!そんなすごい場所の碑が電柱に隠れて見えづらくなってる寂しさが、700年の月日を感じます。
太政大臣西園寺実氏の邸宅があり、後深草天皇の皇居、花園天皇、後醍醐天皇、光厳天皇の三代の内裏となった。建武3年に戦乱で焼失。
名前 |
二条富小路内裏址 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/na067.html |
評価 |
4.0 |
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中京区富小路通夷川下る西側の御所南小学校第二運動場前にあるのが「二条富小路内裏址」の石碑になります。小学校の運動場前なので児童が体育等で使用している時は、カメラを向けて写真が撮りにくい場所にある。この地には鎌倉中期の太政大臣である西園寺実氏(さいおんじ さねうじ 1194年~1269年)の邸宅の一つである冷泉富小路殿がありました。1259年に閑院内裏の焼失後に後深草天皇(1243年~1304年)の皇居となりました。その後も上皇・天皇の御所として頻繁に使われました。二条富小路内裏は、第95代花園天皇(1297年~1348年)・第96代後醍醐天皇(1288年~1339年)・北朝第1代光厳天皇(1313年~1364年)の内裏となった。しかし、建武3年(1336年)に建武新政の崩壊より戦乱で焼失しまた。