歴史を感じる新井白石終えんの地。
新井白石終えんの地の特徴
新井白石が晩年を過ごした歴史ある場所です。
裏通りにひっそりと佇む静かな史跡です。
麦畑が広がっていた情緒豊かなエリアです。
裏通りにあります。
説明板のみです。
説明の看板のみです。
案内表示板だけしかありません。
徳川幕府第六代将軍家宣、第七代将軍家継に儒官として仕え、「御意見番、知恵袋」として様々な政策の立案・実行に寄与した儒学者新井白石が晩年を過ごした住まいの跡です。儒者としての功績が著名な人物ですが、徳川幕藩体制も中期に入った時代に、幕府の長であり、実務における実質的な国政の責任者である征夷大将軍の執務を身近で補佐した新井白石の功績は極めて多大なものがありました。その一つに閑院宮家の設立が挙げられるでしょう。皇室には男系継承を守る為に、伏見宮家、桂宮家、有栖川宮家という三つの世襲親王家が存在し、各宮家の代々の当主は、時の天皇の猶子となり、その上で親王宣下を受けるという特別な地位を保証される事で、皇統を護る藩屏として機能していました。江戸時代中盤に入り、新井白石の建白により、より一層皇位継承を確実なものとする為に、新たに閑院宮家が設立され、合計4つの世襲親王家が「四親王家」として、さながら「四天王」の如く「本家」たる天皇家を支える体制が確立しました。新井白石の建白は後に実を結び、江戸時代後半に閑院宮家は光格天皇を輩出する事になりました。現在の皇室の男性は、全員が光格天皇の男系子孫となります。皇位継承資格を持つ主な男性皇族を起点に世代別に歴史を辿りますと、以下の通りとなります。悠仁親王殿下(昭和天皇の曾孫) u003e 皇太子殿下及び秋篠宮殿下(昭和天皇の孫) u003e 今上陛下(昭和天皇の子) u003e 昭和天皇(光格天皇の来孫) u003e 大正天皇(光格天皇の玄孫) u003e 明治天皇(光格天皇の曾孫) u003e孝明天皇(光格天皇の孫) u003e 仁孝天皇(光格天皇の子) u003e 光格天皇新宿御苑の敷地に隣接した住宅地に渋谷区教育委員会による小さな立て看板があるのみですが、区と都が協同してもう少し詳細事項を列挙したブースみたなものを作っても良いかと思います。江戸時代から続く渋谷区・新宿区界隈の歴史に思いを馳せてみては如何でしょうか。
新井白石終えんの地。
立て看板が1枚あります。
昔はこのあたりは麦畑だったそうです。
この方も波乱に富んだ人生だったんだね。
名前 |
新井白石終えんの地 |
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ジャンル |
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住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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HP |
https://www.city.shibuya.tokyo.jp/bunka/spot/meisho/bunkajin.html |
評価 |
3.5 |
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渋谷区教育委員会が設置した説明板があるだけです。新井白石は六代将軍家宣と七代将軍家継には重用されましたが、八代将軍吉宗時代になると幕府での地位を失い江戸城中の御用部屋や小川町にあった賜邸を召し上げられ、当時麦畑だったこの地に蟄居し、享保六年(1721)から亡くなる享保十年(1725)まで、失意の日々を送った場所であるとのことです(説明板記述)。高名な儒学者であった新井白石のことは承知していましたが、晩年を失意のうちに過ごしたことは知りませんでした。この場所に佇みながら、約300年前の荒井白石の波乱万丈の人生を想像しました。