高野長英の学び舎、建築の歴史を体感!
高野長英 大観堂學塾跡の特徴
1830年に高野長英が開いた蘭学塾の跡地です。
渡邉洋治が手がけた1962年の建物とご覧の通りです。
歴史的な背景が感じられる文化的なスポットです。
天保元年(1830年)に蘭学者・医学者の高野長英が、麹町貝坂に開いた蘭学塾「大観堂学塾」の跡です。その頃、高野長英は三河田原藩重役の渡辺崋山と知り合い、その能力を買われて田原藩のお雇い蘭学者として蘭学書の翻訳に当たり、わが国で初めてピタゴラスからガリレオ・ガリレイ、近代のジョン・ロック、ヴォルフに至る西洋哲学史を要約しました。
仙台藩領水沢の出身の高野長英は、養父が江戸で杉田玄白に蘭法医術を学んだことから幼い頃から蘭書を目にしていました。蘭学に興味を持った長英は江戸で蘭学を学んだ後、文政3年に長崎へ留学しシーボルトの鳴滝塾で更に医学、蘭学を学びました。文政11年のシーボルト事件の際にはシーボルトの多く弟子が厳しい詮議を受けましたが、長英は巧みに難を逃れ江戸へ帰り、町医者として麹町に蘭学塾「大観堂学塾」を開きました。…貝坂の坂上、平一中央通りと交差する角のビルの壁面に黒御影石のプレートがはめ込まれています。
| 名前 |
高野長英 大観堂學塾跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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